神楽坂 石かわ 石川 秀樹 Hideki Ishikawa

食を通して皆が幸せになる、喜びの輪

料理人の修業は厳しいことで知られる。それを耐え抜いて初めて一人前になる。そして、才能勝負の世界でもあり、弟子を一人前の料理人に育てるのはかなり難しいはずだ。そんな中、石川秀樹氏は10年に満たない短期間で数人の料理人を育て上げ、独立させている。それを可能にした彼の経営ならびに人材の発掘・育成の手法に、特別な秘策はあるのか。

店舗運営はノータッチ。
石川流の「信じるマネジメント」

石川氏は、「神楽坂石かわ」をはじめ、日本料理店「虎白」「蓮三四七」「愚直に」、日本料理と鮨「波濤」、ジャンルを越えたレストラン「NK」の6店舗を展開する飲食グループの経営者だ。食材の仕入れから献立づくり、サービスまで、すべてが店主の采配に任されている。つまり石川氏はノータッチ。弟子のやり方に口を挟むことはない。それが彼の奉じる「信じるマネジメント」だ。

「何ができる・できない、失敗した・うまくいった、なんてことはどうでもいい。弟子の行動や成果で信用度が揺らぐようでは、本当の意味で信じていることにはなりませんよね。だから無条件で信じる。何があっても、人として信じて任せるだけです」

石川氏はだからこそ、売り上げとか、前年比○%アップといった“くだらない数値目標”は一切設定していない。ただ一つだけ決め事がある。それは原価率を守ることだ。「どの店も一般的に言われている原価率を守りながらやっている中で、“価値”があるものを作るのが料理人の仕事だと思う。やっぱり石かわ(虎白、蓮)は違うよね、とより多くの人に喜ばれ、選んでもらえる店にする努力と工夫を重ねる」という考えだ。
「神楽坂 石川」石川秀樹氏

虎白の小泉瑚佑慈氏、蓮の三科惇氏も口をそろえる。

「本当に信用して任せてくれます。責任をもっていい仕事をしようという気持ちになれますよね。それに基本、何も教えられないので、弟子は師匠や先輩の仕事を見て覚え、自分の頭で考える習慣が身につきます。いい提案はどんどん受け入れてくれる。僕らだけでなく店の皆も、人としてリスペクトされてる、大事にされてると感じていると思います」

これがまさに石川流の「信じるマネジメント」だ。とはいえ、彼がこの今の心持ちに達するまでには、20年におよぶ葛藤があった。「日々、行。今も学び続けている」という。

左から石川秀樹氏、虎白の小泉瑚佑慈氏、蓮の三科惇氏
石川氏。虎白の小泉瑚佑慈氏、蓮の三科惇氏と。

昔は鬼だった!?石川氏が変わったきっかけ

石川氏が「料理道」に入ったのは、郷里の新潟から上京し、「フリーターをしていた」20歳の時。何もやることがなく、「昼間はカフェバーで、夜はブティックホテルで清掃のバイト」という日々。「このままブラブラしていてはダメだ。割烹に入れば何かが身につくだろうな」という漠然とした思いから、飛び込みで原宿の割烹さくらの面接に乗り込んだ。

「バーを併設したかっこいい割烹でね。雑誌に芸能人がよく来る店として取り上げられていました。それでミーハー気分で、しかもロン毛にはやりの服っていで立ちで社長に会いに行った。完全なアホです。『何しに来たの?』って言われました」

その時に出会った大将が、一昨年、銀座に梧洋(ごよう)を開店した勝又茂美氏だ。石川氏は「当時の僕は休みに何して遊ぼうかしか考えてないんだから、ぼろくそですよ。でも大将はやさしくて、あったかくて。親と同じぐらい恩義を感じてます。今も、いや死ぬまで、大将を裏切っちゃいけないという思いは変わりません」と言う。さくらを皮切りに青山の穂積、乃木坂の神谷などで修業を積み、38歳で独立。この頃から、自分の心を整えることの大切さを学び始めた。

「昔は本当にひどかった。弟子が何かヘマをすると『この野郎!』ってキレて、1週間も口をきかないこともザラでした。でも怒りの元は恐怖なんですよ。『そんなことしてたら、俺の評価が下がるじゃないか。お客さんが来なくなって、店がつぶれたらどうすんだ。ワーッ!』って。自分の身に降りかかるマイナスの評価や結果を恐れて弟子やスタッフを攻撃してたんです。それじゃあダメだ、一番の問題は自分の心なんだとわかってきた。今はカーッとなっても、『皆、事情があるんだから』と、起きた現象を丸のみできるようになりました」

八重洲にあった岡ざきの時代から石川氏を知る小泉氏が「昔は鬼だった」と“証言”するが、何が石川氏を変えたのか。一つは仏教、哲学、心理学等の本をたくさん読んだこと。もう一つは、「決して怒らず、きっちり説諭する」小泉氏の姿勢を学んだこと。小泉氏は「心の師匠」だという。

  • 「神楽坂 石かわ」店舗画像
  • 「神楽坂 石かわ」店舗画像

愛でつながる従業員の和

石かわで特徴的なのは、3店のスタッフたちが寮で暮らすこと。「家賃負担が軽くなるし、人間関係の“嫌なこと”を乗り越えられるよう、あえて共同生活という試練を与えている」。またローテーションで3店を経験させるのは、いろんな環境、人との出会いから多くを学んで欲しいから。底流には、石川氏の愛がある。

「皆が顔を合わせる機会は多いですよ。例えば隔月で誕生会とか、創立記念パーティーなども開いてます。カラオケが楽しくてね。30人全員で同じ曲を歌うんです。盛り上がりますよ。従業員同士も信頼し合って、仲良くすることは大事。調理場とサービスの垣根は取っ払わないとね。あと、営業前の“夕礼”では5分ほど、読書会をやっています。順番に一節ずつ音読するんです。最近は、アドラーの『嫌われる勇気』を読んでいます。今まで本を読まなかった人でも強制的に1年に4、5冊は読むことになりますよね」

弟子を始め従業員の和を大切にする石川氏が目指すのは、「一人でも多くのお客さんから、やっぱり世界中のどの店よりも石かわ、虎白、蓮に来て良かったと思ってもらえるように努力をする」ことだ。「そのためにやることはいっぱいある。小さなバリューをいくつもためて、弱点は改善してプラスに転じる。その繰り返しで“下がらない仕組み”を作る。僕は料理ではなく、そういう考え方を教えてるんです」――“石かわ育ち”の料理人たちが「食を通して皆が幸せになる、喜びの輪」を広げていくことが、石川氏の望みなのである。

Photo TONY TANIUCHI、Masahiro Goda Text Junko Chiba
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています