日本料理 かんだ 神田 裕行 Hiroyuki Kanda

料理は愛情の産物である

日本料理店「かんだ」を開店し、10年連続でミシュランガイドの三つ星を獲得した料理人の神田裕行氏。彼がフランスで学んだことや、日本料理を作る姿勢について教えてもらった。

日本の食材を日本で料理することが、
本当の意味での日本料理になる

高校を卒業後、18歳で大阪の日本料理店で修業を始め、23歳の若さでパリの日本料理店の調理長に就任した神田裕行氏。その3年後にはフランスのレストラン誌「ゴー・ミヨ」で「パリ一の和食店」と評価されたが、「実情は少ない経験と稚拙な技術しか持ち合わせがなく、日本料理と呼べるものが作れていたかはあまり自信がない」と振り返る。魚、野菜、肉、そして何より水が、日本とはまるで違う。「気候と風土が作物を育て、その作物に合わせて料理ができている。日本の食材には日本料理が合い、フランスの食材にはフランス料理が適している」という当たり前のことを痛感したパリでの5年間だった。

「結果的に学んだのは『日本料理って何てすごいんだろう』ということです。日本固有の食材を日本で料理しなければ、本当の意味での日本料理にならない、という意味でね」

たとえば山の有機物が川とともに流れ込む栄養豊富な近海で育つ魚や、肥沃な土壌で作られる農作物など、日本には質の高い食材がたくさんある。しかも海と山と畑と人の距離が近く、食材の流通スピードが非常に速い。そういう条件が揃っているからこそ、最高の食材の新鮮な味わいを、そのまま反映させたおいしい料理ができるのだと神田氏は語る。

彼は包丁を握る一方で、土そのものをテーマにした活動に身を投じている。テーマは、「土の中に未来がある」。ミシュランの星を持つ料理人たちと、2008年にNPO法人「FUUDO」を立ち上げ、食料自給率向上のためにできることをやろうと、食材の産地を訪ねるなどの活動をしている。「土は命の源。農薬に頼らず、風土を大切にしたFood、食品を作ることを通して、命の循環に関するメッセージを発信したい」。そんな気持ちでいっぱいだ。
「元麻布 かんだ」神田裕行

目指すのは、「旨み」ではなく「美しい味」

「18歳で包丁を握り、現在に至るまでの料理人人生の中で、最も難解なテーマがある。日本料理の本道を行こうとするならば、越えなければいけない山がいくつかあるが、その最高峰は漆椀の中にあるといつも思います」と神田氏。

料理人の知識の深さ、見識の広さ、技術の高さはもちろん、勇気や優しさも、椀を食べこんだお客様には全てが見えてしまうからだ。日本料理を作るということは、日本の美学を学ぶことだと、お椀に向き合うたび、いつもそう感じるそう。
 
「よく、料理レシピを書いてほしいと依頼があります。そのたびに思うのですが、料理を文字と数字で表現するレシピを書くのはたやすい。しかし、そのレシピの奥にある、料理人の思いを文字で表現するのはとても難解なんです」

つまり、ただ料理を作るのではなく、料理人がその料理に込めた思いが伝わるように繊細に料理してこそ、料理を表現することができたといえるのだ。

「『美味しい』と書いて『おいしい』と読む。それは、日本料理だけが実現できるものだと思っています。お吸い物でも、外国の方に提供すると『なぜ味がついていないのか』と言われることがあります。一口の量でもおいしいと感じる西洋のスープと違って、お吸い物の一口目は薄いと感じるけれど、最後まで飲んで脳と体に塩分が蓄積されて初めておいしいと思える料理。こうした日本料理の美学をさらに突き詰め、目には見えない部分こそを大切にしてきたい」

そして、原点となるのが「料理は愛情の産物である」という思い。

「相手への思いやりと気使い。『おいしい』と言ってほしいと願う切ない気持ち。その心を今日も明日も持ち続けることこそが、我ら料理人にとって最も大事な才能だと考えています」

「元麻布 かんだ」神田裕行

Photo Masahiro Goda