銀座 やまの辺 山野辺 仁 Hitoshi Yamanobe

春夏秋冬を、中国料理に映す

「銀座 やまの辺」では、旬の食材をふんだんに料理に使う。オーナーシェフの山野辺仁氏は、中国現地にも、気になった食材の産地にも、フットワーク軽くどんどん出かける。そうして磨いた感覚で作り上げるのが、「日本の四季を感じる中国料理」だ。

旬の食材を味わえる「江戸中華」

2015年の夏、銀座8丁目にオープンした「銀座 やまの辺」。オーナーシェフである山野辺仁氏の「日本の四季が感じられる中国料理を作る」という姿勢を反映し、「江戸中華」を掲げる。ベースは中国料理に置きながら、日本各地から旬の食材を集め、季節感を存分に表現した料理でコースを構成。「江戸時代の江戸の街も、全国から食材が集まってきていました。そのイメージとも重ねています」と話す。

師匠や先輩たちの教えのおかげ

山野辺氏は調理師専門学校を卒業後、銀座に本店がある中国料理の名店「天厨菜館」に入り約17年間働いた。厨房では人一倍よく動き、中国料理の専門書を読み込んでは知らない伝統料理を先輩たちに聞き倒す日々。総料理長を務めていた杉田忠氏の姿勢にも影響を受けた。

「絶対に手を抜かず、おいしさを最優先。お客様に対して誠実。杉田さんの感覚が、私の基準になりました」
 
30歳で天王洲アイル店の総料理長に就任し、35歳で独立を目指し退社。その後半年ほど、今の「やまの辺」がある場所で当時営業していた「日本橋 よし町」の楢山泰男氏のもとで働いた。
「銀座 やまの辺」山野辺仁氏

「よし町は街中華の名店で、ラーメンが特に知られていました。楢山さんは70代半ばですが、麺もスープも丁寧に自家製します。そんな贅沢な仕事を一緒にさせてもらいました」

独立開業にあたっては、「イタリアンの山田宏巳シェフに導いてもらった部分が、とても大きい」と話す。「東日本大震災の炊き出しで力をお借りした縁で、ずっとよくしていただいて。銀座の立地を勧めてくれたのも、『四季を感じる中国料理』というコンセプトを後押ししてくれたもの、高級路線を打ち出す意義を教えてくれたのも山田シェフ。うちの店の名誉顧問です」と笑う。

「私は師匠や先輩に恵まれているんです。人との出会いがすべて」という。同年代の他ジャンルのシェフたちとの交流にも積極的で、テレビでも活躍。それでも地に足がついているのは、「師匠や先輩たちの教えのおかげ」と話す。

今、まさに勢いにあふれる山野辺氏。その料理と人柄を楽しみに、連日店がにぎわう。

両親、先生、空手の師範。高校時代の恩人たち

「自分は中学の頃は本当に落ちこぼれで、他に行く高校もないし……」という理由で調理学科のある高校に進んだ山野辺氏。もともと料理や食べることは好きだったが、進路を決めた時は、将来のことは深く考えていなかったと話す。それが入学して少しした頃、たまたま何かの拍子で授業料を知ってびっくり。中学と同じで、高校も無料だと思っていたのだそう。安くない金額を親が自分のために毎月払っていることに衝撃を受けて、「絶対に料理をモノにする。人生の仕事にする」と決意。そこから料理スイッチが入ったという。

「とはいえ、1年生の頃は、先生に対しても踏ん反り返って接していて、態度は悪かったです(笑)。それが3年の頃になると、現役の料理人でもある先生たちを心底かっこいいと思うように。一番憧れた、都ホテル東京「四川」の橋本暁一先生の影響で中国料理を選択しました」

 中学高校と続けていた空手の師範、保坂先生(如心館館長)の教えも自身を形作ってくれたと話す山野辺氏。

「夜間高校の先生もなさっていて、多くの難しい境遇にある生徒たちを指導した、真の人格者。人としての振る舞いや思いやりを学び、『保坂先生ならどうするか』と考える習慣が今でも自分の中にあります。

餃子や腸詰め。「やまの辺 厨房」では庶民の味を新表現で

2019年にオープンした「やまの辺 厨房」。コンセプトは「1杯飲んで、軽く食べて帰れるような店」。料理は餃ギョーザ子、腸詰め、よだれ鶏という具合に、庶民的な伝統料理を提供している。といっても、現地の料理をそのまま出し続ける気はない。餃子なら、中の肉を羊や和牛にするなど、いろいろなメニューを研究する予定。腸詰めも、スパイスや肉の種類、部位、挽き方と組み合わせは無限。常に「なぜこうする?」「もっとよくならないか?」を料理で追求しており、それを餃子や腸詰めに応用する、ラボのような店だという。

「ただこの店の味作りは、私ではなく信頼する料理長が主導します。経営も任せるので、いつか彼が店を買い取ってもいい。皆が自分の仕事に責任を持ちつつ知恵を出し合い、前進してゆくのがうちのチームのモットー。やまの辺 厨房で、チームのさらなるパワーアップを期待しています」
やまの辺 厨房で提供する腸詰め

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています