レストランキノシタ 木下 和彦 Kinoshita Kazuhiko

料理は人生そのもの

最上級の牛肉のように、もともと逸品だが、近年、さらに熟成されて「食べ頃」を迎えたシェフがいる。30歳で料理人を志し、彗星のようにスターシェフの一人となった「レストランキノシタ」の木下和彦氏。「おいしいものが食べたい」という思いを素直にぶつければ、笑顔で期待以上のものを出してくれる、料理の申し子のような人物だ。

自分の好きな仕事をして、感謝される。こんないい仕事はない

「お客様から『ここの料理を食べるために仕事頑張って、また来るよ』と言われるのが、涙が出るくらいうれしいんです。誰にも迷惑をかけず、自分の好きな仕事をして、感謝される。こんないい仕事はないですよ。だから健康にも気を使って、少しでも長く続けるのが目標」と木下氏。これほど純粋な60歳もそういない。 

中学時代は陸上の長距離選手。だがその後は「渋谷の親戚の元に身を寄せて、屋台をしたりぶらぶら」していたと言う。料理人を目指し、フランス料理店に入ったのは30歳も間近の頃。「フランス料理店のシェフって、格好よくてモテそう」という不純な動機だった。

「それからは大変でしたよ。早朝から夜中まで仕事漬けだし、調理師学校も出ていないから、年下の先輩たちにはものすごくしごかれて。でも負けず嫌いなので一人一人追い抜いていって(笑)、5年で2番手になりました。辞めようとしたこともありますが、叔母に『逃げるの?』と言われ、踏み留まりました」 

その後、誘われた「ブラッセリーヴェラ」のシェフを1年半務め、3カ月先まで予約の取れない人気店へと押し上げた。そして、初台に「レストランキノシタ」を開業する。「貧乏人の小せがれなので、失敗するわけにはいかない。保証人になってくれた親に迷惑をかけないよう、絶対うまくいかせようと無我夢中でした」と振り返る。

「ここ10年で、ようやくこの仕事は幸せのお手伝いだと思うようになりました。心を込めて、それが相手に伝わってこそ、特別感が生まれます。店は人生そのものですね」

青山「ラ・ブランシュ」の田代和久氏が憧れ。「今も市場でばったり会うと緊張しますよ」と、少年のように笑う。進化し続けるスープ・ド・ポワソンのように、料理人・木下和彦もさらなる進化を遂げていく。
「レストランキノシタ」木下和彦氏

牛肉は「八千代黒牛」ひと筋

15年来、牛肉は千葉県匝瑳市の塙牧場の「八千代黒牛」を仕入れていると話す木下氏。

「あるホテルのフェアで食べて、『めちゃくちゃ旨い!』と思ったのがきっかけで、紹介していただきました。塙正一さんという名人が育てているのですが、黒毛和牛とホルスタインの交雑種を上手に育て、純血に劣らないA5ランクをたくさん獲得しています。牛舎にも伺ったことがありますが、すごく清潔で木屑と牧草のいい香りがしたのが印象的でした」

ごくたまに別のものもとってみたりするが、たいていはこの牛だという。

「他にもブランド牛はありますが、普通は生産者までたどれないのです。塙牧場は小さいからこそ、その人が作ったものを持ってきてくれる。思い入れがありますし、物語があったほうがこちらも頑張れます。そこに愛情がありますからね。仕入れた塊の肉を前にして、今日はどうやって切ろうかなと思う時が楽しいです」

肉に合わせて、メニューに載せていない料理を提供することもあるという。

「いい牛肉からはいっさい無駄が出ません。八千代黒牛はそのままで最高の肉なので、いわゆる熟成肉にはしませんが、よりおいしくするために余分な水分を抜き、食べ頃を見極めるなど、日々研究しています」

20年先を見越したブルゴーニュワイン

料理に劣らず、木下氏が情熱をかけてきたのがワインだ。特にドメーヌによってはっきりとした持ち味があるブルゴーニュが好きで、ずっと購入してきたと話す。

レストランキノシタのワイン

「近年、ブルゴーニュは、リリースされた年に買わないと、飲みごろになると高すぎて買えないんですよ。だから最初に買って、しっかりと保管して、“飲みごろ”を待つしかない。ただ、飲みごろになるまで何年もかかるので、僕ももう60歳ですから、そろそろ買うのを控えていかないと大変です(笑)」

とはいえ、ブルゴーニュのいいドメーヌは、毎年販売する割り当てが決まっているので、一度やめてしまうと次がなくなってしまう。すでに思い切ってやめたところもあるが、なかなか好きな造り手は外せないと木下氏。

「あと20年は頑張って店を続けて、最高のワインをお客様に味わっていただきたいですね」

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています