ベージュ アラン・デュカス 東京 小島 景 Kei Kojima

煌めきを繋ぐ、料理人としてのストイックな信念

憧れの的であり続けるファインダイニング「ベージュ アラン・デュカス 東京」。その華やかな舞台を支える、総料理長・小島景氏。アラン・デュカスの世界観を守りながら、自由に発想の翼をはばたかせて、比類なき美食を紡ぎ出す。

誰がいつ来ても、満足して帰ってもらえる店へ

フランス料理界に君臨するデュカス・パリの日本の総本山として、また、シャネルグループとのコラボレーション店として、オープン18年目を迎える「ベージュ アラン・デュカス 東京」。その総料理長を任され、11年間厨房をまとめ上げてきたのが小島景氏である。小島氏とデュカス氏の関係は深く、長く、日本とフランスを行き来しながら、何十年にもわたってファミリーの一員として、確固たる信頼を得ている。

小島氏の料理人人生は、高校時代に、雑誌でフランスから帰国したシェフの記事を読んで憧れを持ったことからスタートした。その後、サントリーが経営していた海外支店を持つ鉄板焼き店や、イタリアンで働くも、なかなか海外への扉が開かない。そこで当時、サントリーがやっていたフランス料理店のフランス人支配人に相談し、リヨンの店を紹介してもらうことに。ようやく手にしたフランス行きの切符であった。

影響を受けた料理人、フランク氏とデュカス氏の存在

最も影響を受けた料理人を聞くと、フランク・セルッティ氏の名が挙がる。リヨンの後、ニースで入店した店のシェフであり、デュカス氏の右腕と言われる人物だ(当時はニースで小さな店をやっていた)。「素材の切り方や火入れ、ソースなど、料理のすべてを、フランクから学びました。また、料理だけでなく、人となりもです。決して、人としてどうあれ、と言うわけではないんですが、存在自体が教えてくれました」と。デュカス氏からは社会人として成長しなければ、一流の料理人になれないということを、氏の姿勢を見ながら学んだという。そんな思いから、今も小島氏は日々精進する。

料理の基本は農家、野菜

これまでで一番印象に残った皿を尋ねると、即座にフランクの店で食べた、温野菜だけで構成された料理との答えが返ってきた。フランスは農業国であるが、レストランを食べ歩く限り、あまり野菜を食べられない。だからこそ、大変な衝撃を受けたそうだ。「デュカスもフランクも、料理の基本は農家、野菜なんです」と評する。その二人のもとで長年過ごしたことが、小島氏の料理の方向性を決定づけ、今に続く、代名詞とも言われる、鎌倉野菜の料理へと繋つながっていったのであろう。

「フランスから帰って日本で店をやるときには、ベージュの料理長という職につこうがつくまいが、鎌倉の市場で毎日野菜を買って、担いで店に行き、料理をしようと決めていました」と小島氏。生産者と密にコミュニケーションをとりながら、最良なものを最良の時期に、必要なだけ毎日購入するという、きめ細かな差配があってこそ、深い滋味に満ちた野菜の一皿を作り続けることができるのだろう。
ベージュ アラン・デュカス 東京 小島景氏

一方、季節のメニュー替えなど、日頃から常に新しいメニューのことを考えているという。

「新作を考えるときは、家にある無数の本を見たり、雑誌やテレビ、スマホ、町を歩いて気になったことなど、何でもが、料理のインスピレーションになります。それを試作して、新しいレシピとして本国のデュカスに送ります。ベージュを始めた頃から考えると、ずいぶんと、自由に、自分の発想で大胆に考えられるようになりました。それまではどうしても、習得してきたものの中からということが多かったですから、近年の進歩と言えますね」と言う。

結果、新作に関して何か言われることはまずないそうだが、それも、デュカス氏から全幅の信頼を得て、任されているからこそのことであろう。

少しでも社会貢献に事が繋がることができれば幸せ

また、備長炭にはこだわりがあると話す小島氏。ベージュの厨房はオール電化で直火が使えない。6年ほど前から直火の可能性に惹かれ、七輪を持ち込んで炭火を使うようになったそうだ。備長炭は業者から仕入れていたが、備長炭のことを学びたくて、インターネットで製造元を調べ、片端から電話したが、直接の取引はできないと断られ続けた。高知県大月町の役場に連絡すると、たまたま焼き手が出て、銀座のレストランならぜひ使ってもらいたいと、生産者と繋がることができたという。産地である大月町は過疎化が進み、人が手を入れなければ山は荒れ放題になってしまう。そんな中で炭焼きを次世代に繋いでいくことの、少しでも助けになればと、購入を続けている。

同時に、メニューに「高知県大月町産備長炭で焼いた……」と書き、不特定多数の客やメディアに対して発信することで、わずかではあっても社会貢献に繋げられるのではないかと思っているのだ。

今後の夢や目標を聞くと、少し間をおいて小島氏は答えた。

「料理人である自分の夢は、つまるところ、お客様に満足して喜んで帰っていただくこと、それしかないと思います。その上で、少しでも社会貢献に事が繋がることができれば幸せです」

そう話す穏やかな笑顔からは、強い信念が感じられた。

  • ベージュ アラン・デュカス 東京 小島景氏愛用の包丁
    ずらりとそろったナイフには、それぞれに合わせた用途が。20年以上使用しているものもあれば、5~6年で買い替えるものも。一番小さなものは、野菜の皮むきなどに使う。
  • ベージュ アラン・デュカス 東京 小島景氏愛用のペーパーウェイト
    白熊のフィギュアをペーパーウェート代わりに。オーダー票の重しに使うのにほどよい重さで、どうしてもこれがほしく、玩具店で買ったという愛着のある品。小島氏にはそんなおちゃめな一面も。

Photo Masahiro Goda Text Hiroko Komatsu