虎白 小泉 瑚佑慈 Koji Koizumi

常に「今のベスト」にこだわった料理を

同じ料理がメニューに挙がることがほとんどないという虎白。それは、日本料理の「王道」を行かず、毎年違う形で旬の味わいを提供したいという小泉瑚佑慈氏の信条がそうさせるのだ。

「石かわ」のDNAを受け継ぐ

虎白の店長にして総料理長の小泉瑚佑慈氏が、初めて神楽坂の地を踏んだのは12年前のこと。石川秀樹氏が神楽坂で独立、オープンした「石かわ」がその最初の一歩である。

「料理の専門学校を卒業してから1年間違う店で働いて、『岡ざき』に就職。そこで料理長をしていたおやじさん(師匠の石川秀樹氏)に会いました。その後、おやじさんが神楽坂で独立するというので一緒に来て、最初は奥さんも含めて3人で『石かわ』をまわして。おやじさんが『体には有機野菜がいい』とか、自分が経験してやってきたことをどんどん実践して、みんなで共有してね。楽しかったですね。おやじさんは、最初はそれは怖かったですよ。鬼みたいでした。それでも、仕事の姿勢や料理に対する情熱は凄かったですね。妥協しないし、筋は曲げない。すべてにおいてそれが当たり前、っていうスタンスでね。そういうところに惹かれたし、ものすごく勉強になりました。仕事としては教えてもらったことはないですね。自分で見て、考えて、覚えるスタイルでした」

といっても、昔気質の『背中を見て育て』って突き放されるのとは少し違う。聞いたらちゃんと答えてくれる、それが石川氏のスタイルだという。
虎白の店長にして総料理長の小泉瑚佑慈氏

「細かいことを言われるんじゃなくて、弟子であっても人としてリスペクトしてくれて、信頼して、任せてくれるんですよね。大事にしてもらっているという感じが伝わるんです。愛ですよね(笑)。だから、いざ石かわを出て虎白を任せてくれるとなったら、『お願いね』だけ。ただ、石かわともまた違う店になるように、『いろんなことにチャレンジしろ』とは言われました。だから、海外の食材を取り入れるとか、今までにない料理構成によって、日本料理の幅を広げることに常に挑戦しています。ここにしかない、新しい日本料理を。石かわのDNAは、確かに受け継いでいると思いますね」

虎白は、石かわが移転した後、その誕生地を引き継ぐ形で、2008年にオープンした姉妹店だ。ただ、旧ビルでの営業は1年半ほど。ビルの取り壊しによる1年間の休業を経て新ビルで新たに再スタートを切った。「休業も辞さず」というところに、神楽坂のここが石かわと小泉氏のスタートの地であることへの思い入れの強さが分かる。

料理哲学は「今までにないおいしさを求める」こと

日本料理の伝統的スタイルを踏襲しながらも、それにとらわれず、日本の旬の食材そのものの持つおいしさと、それを引き出す調理法、食材などの組み合わせを突き詰め、今までにないおいしさを表現する。それが、「虎白」の料理哲学だ。

「日本料理には、旬の食材をおいしく食べる定番のものがあります。たとえば、夏になると鮎の塩焼き。それはもちろんおいしいけれど、他の店でも楽しめますよね。だからうちではあえてそこから離れて、生きた鮎をまるで泳いでいるような姿で素揚げにして、トリュフのソースで食べるなど、新しい料理を提供しています。それでお客様に『えっ、鮎って、トリュフと合わせると鮎の苦みの新しい味わい方になるね』と喜んでいただくことが、作っている僕にとっても楽しみなんです」

トリュフ、フォアグラ、フカヒレ。ジャンルに捉われず、高級食材を使うが、それで単純に“おいしさ増し”をしようとは考えていない。「そんなのは浅知恵だ」という小泉瑚佑慈氏。外国の食材を使っても、日本料理としての軸は決してブレない。だから、それをメインに出すようなことはないのだ。
「虎白」小泉瑚佑慈氏

「ジビエシーズンには熊や真鴨、猪も使いますが、同じ料理がメニューに上がることはほとんどないですね。1~1.5カ月ごとに変わるメニューは毎回、旬の食材の組み合わせも調理方法も違います。調理方法によって異なる食材の味と特徴を記憶し、まず大きなイメージを描いて、試作を重ねながら新しい料理を模索していきます。食材は産地にこだわらず、その日に一番いいものを取り寄せます。これはおやじさんの教えでもありますね」

こういった“新作”が一朝一夕に出来上がるわけではない。昼や深夜の仕込みの合間に、飽くことなく試行錯誤が続けられての結果である。発想の源は「味の記憶+調理方法によって異なる食材の良さ」。まず大きなイメージを描き、試作を重ねながらおいしさを精錬していく。

「常に『今のベスト』を考えて表現したいんです。定番は鮎の素揚げと松葉蟹のしんじょくらいかな」

「日本料理の良さは食材の生かし方にある」とする小泉氏の心意気は、そのまま伝統を受け継ぎつつ新しい装いを加える神楽坂と通じるものがあるようだ。

Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba 
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています