壽修 先崎 真朗 Masaaki Senzaki

シンプルにおいしいものを。真摯に調理と向き合う料理人

西麻布の路地にたたずむ「壽修」。佐賀県出身で、大阪の日本料理店で研鑽を積んだ先崎真朗氏が穏やかな笑顔で迎えてくれるカウンター主体の割烹だ。佐賀県産を始め全国の極上の食材を目利きし、それぞれの味を引き立てながらシンプルに調理する。その器から、料理という芸術の形が見えてくる。

先崎氏の料理哲学は、その時の最高の食材を使うこと

「殀寿(ようじゅ)貳(たが)わず、身を修めて以て之れを俟(ま)つは、命を立つる所以なり」

孟子(もうし)の盡心(じんしん)章の一節であり、店名の「壽修」はこれに由来する。「人には短命、長命あるけれど、日々努力していれば自分の人生をまっとうできる、という意味の言葉です。戒めにしているのですが、意味は後から知りました。実は、看板の文字は祖父が喜寿の祝いで書いたものです。字体が好きだったので、店を持つならこれを使おうと決めていました」と話す。

教育一家に生まれ、両親からは芸術系の学校への進学を薦められた先崎氏。だが反発し、「料理の鉄人」の影響から、故郷の唐津を出て大阪の調理師学校へ。西洋料理を志していたが、担任の教師に最初に連れられて行った日本料理店で、人生を変える衝撃を受ける。

「北新地の斗々屋という店で、こんな世界があるんだ、と感動しました。卒業後は空きが出るのを待って、この店に就職し、10年ほど働きました」

その後、東京へ出て5年ほどすしや和食の店に勤めて、34歳で独立。今も料理の基本としているのは、「斗々屋」の料理哲学だ。

「学んだのは、どんなに調理の技術を磨いても、食材の力にはかなわないということ。いいものを見て、食べて、ということを、斗々屋を離れてからもずっと続けてきた」という。だからこそ固定観念やブランドにはこだわらず、その時の最高の食材を使う。

「その上で、地元・佐賀の食材としては、佐賀牛や佐賀米(夢しずく)、唐津の赤ウニやクエを出しています」

熱いものは熱いうちに。焼き物なら魚の脂がジュージューと音を立てているうちに食べてほしいという思いから、カウンターの店にした。余計な説明のいらない、シンプルにおいしいものを作る。オープン後、1年は苦労したが「ロスを出しても満足していただけるものを作り続けたら、お客様がついてくださいました」と振り返る。

店を広げるという野心はない。それより、「ここでもっと、料理を突き詰めたい」と語る。おごらず、欲張らず。真摯、という言葉が似合う料理人だ。

先崎氏の考える、料理と器の関係

佐賀県の唐津出身で、唐津焼が身近にあったので自然と焼き物が好きになったと話す先崎氏。若手の作家さんの作品もいろいろと見るようになって、店で「日本料理を片瀬和宏の器で」というイベントを開催したこともあるそう。

壽修・先崎真朗氏の器

「手前左が片瀬さん、右が伊藤剛俊さん、上が水上竜太さんの作品です。器を作ってもらう時には、基本的にサイズ感だけお伝えして、あとは料理のことは気にしなくていいから、ご自身の作風で作ってください、とお願いしています。伊藤剛俊さんは海外でも個展を開くほど、人気のある作家さんで、私の料理と器のイベントを最初にやった作家さん。それ以降、料理のことを考えて器を作るようになった、とおっしゃっていました。実際に料理を盛ったところを見ることで作家さんもイメージが湧きやすいでしょうし、お客様にも器の使い方の参考になると思います」

趣味は美術館やギャラリー巡り

美術の教員をしていたという父親に、小さい頃からよく美術館に連れて行かれていたという先崎氏。今でも美術館やギャラリー巡りが趣味のようだ。

「なかなか時間が取れなくなりましたが、仕事前に近くの根津美術館に立ち寄ったり、渋谷の『うつわ謙心』で器を見たりはよくしています。日本画、西洋画はもちろん、仏教美術や現代美術も、何でも好きです」

壽修・先崎真朗氏の趣味の絵

こちらの写真は、壽修のお手洗いに飾っている絵で、実は九州の小児科の先生が描いた絵。メジャーな作品より、知り合いのギャラリーや骨董市などにふらっと立ち寄って、気に入ったものを購入することが多いそうだ。

「親族には美術関係の仕事をしている人もわりと多くて、店のマークにしている佐賀県の鳥、かささぎのイラストもグラフィックデザイナーをしているいとこに頼んで描いてもらいました。かささぎはカチカチと鳴くので、佐賀では「勝ちガラス」と呼ばれる縁起のいい鳥です」

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています