懐石 小室 小室光博 Mitsuhiro Komuro

100年記憶に残る味を生み出す力

東京にあって、懐石料理の神髄を受け継ぐ数少ない名店として燦然と輝く「懐石 小室」。主人である小室光博氏から生まれる料理に貫かれる美意識を探る。

真摯に素材と向き合い続ける

懐石小室の外観写真
店は風情あふれる奥神楽坂の閑静な住宅街にたたずむ、大人の隠れ家のよう。

「懐石 小室」の料理というと、鱧、松茸、鴨、蟹……究極の素材を縦横無尽に使いこなした、圧巻の料理を思いうかべる人が多のではないか。まずは、それらの素材へのこだわりをと、主人・小室光博氏に質問すると、やんわりと、しかしきっぱりと「いや、こだわりではありません。私にとっては普通のことなんです。むしろ信念ですね」と制された。

天然のものであれば、しっかりとした生産者が確保し、きちんと命を全うさせたものであるということ。作られたものであるなら、できる限り正しい飼料で安全に育てられたもの。または、無農薬や極力減農薬で丁寧に育てられた野菜たち。それらを当たり前の基準として使っているのだという。

そうした適正な素材にごく丁寧に向き合い、その旨うまみを最大限に引き出すことを、日々繰り返す。こうした料理人として必須の資質を、小室氏はどこで培ったのであろうか。それを知るためには、なぜ、料理人を目指したのかを聞かねばなるまい。

すべての技術の基本はおやっさんから引き継いだ

「食いしん坊だったんですね単純に。料理屋さんだったらいつも美味しいものに囲まれていられますから」と笑いながら答えてくれた。実は、高校生のときに兄の店でアルバイトをしたのだそうだ。キラキラした世界にわくわくしたという。この道を究めたいと、高校を卒業してから、調理師学校へ通った。就職面接の段階では、懐石料理店に絞り込み、最終的には、「辻留」出身の主人が営む「和幸」(現在は閉店)にお世話になることになった。

「和幸で十数年、みっちりと仕込まれましたた。だしのとり方から、お造りの引き方、焼きもの、炊き合わせと、すべての技術の基本はおやっさんと呼ばせてもらった、高橋一郎氏から引き継いだと言っても過言ではありません。技術的なことばかりでなく、人としてどうあるべきか、料理屋はどうあるべきか、そんなこともすべてです」

茶の湯との出会い

同時に、小室氏にとって大きかったのは、茶の湯との出会いであった。茶事の出張料理を頼まれることも多く、初めて茶と接点を持つことにより、物事の本質に近づきたいという気持ちを身につけることができたという。

季節を重んじ、あるがままの姿を受け入れ、そのうえで料理へと整えていく。中でも縁のあった遠州流では、わびさびの心に武家の華やかさも加わった、綺麗さびをよしとする。日々の修業の中で自然にそんな美意識を身につけた。現在でも遠州流の茶事は度々仕事で受けるが、毎回緊張するし、その度に初心に立ち返るような学びがあるそう。
 
ほかに影響を受けた料理人を聞くと、2人の料理人を挙げてくれた。

「まず、京都『八寸』のご主人・久保田完二さん。カウンターという場でのエンターテインメント性というのかな、ただ美味しいものを出していてもダメ。食事を媒介に、時間と空間をいかに楽しませるかが大切であることを自ら見せてくれました。もう1人挙げるなら立川にあるそば屋『無庵』のご主人の竹内洋介さんですね。“大人学”というんですかね、建築が好きな方で、露地とか、明かりとか、花など物事の美学のようなものを教えてくれました。遊びにも随分連れていってもらいました。20歳も上の先輩ですから、大人としての粋を身をもって示してくれましたね」と懐かしそうに語ってくれた。

料理は五感で感動すべきもの。だからこそ自分の五感磨きが大切

また、小室氏といえば、器へのひとかたならぬこだわりでも知られるが、これは、遠州流の綺麗さびの影響が大きいという。器のために、1室倉庫を借りているほどだが、「見事!」と感じると、また購入してしまう。小室氏にとっての器は、まさにアートなのである。新店へ移転してもうすぐ4年になるが、数寄屋建築は京都の木島徹氏に任せたという。端正かつゆったりとゆとりのある店内は、器同様、料理の味をひと味もふた味も格上げしてくれる。

小室の名前を呉須で焼き込んだ八寸皿
額装し、エントランス近くの壁に飾られた小室の名前を呉須で焼き込んだ八寸皿。3代目の須田菁華(すだせいか)によるもの。
懐石小室の内観写真
1階はL字のカウンター席で、奥にある厨房(ちゅうぼう)の様子もうかがえる。

しかし、こうした芸術への学びは、料理関係に限ったことではない。

「昨日も市川海老蔵さんの『アース&ヒューマン』を観に行ったのですが、素晴らしかったです。これまで、海老蔵さんのことは、歌舞伎のうまい人としか思っていなかったのですが、今回は、人間としてすごいなと、驚かされました。気付けば55になってしまいましたが、60を区切りに、自分の料理を完成させていくためにも、もっと、もっと緊密な時間を過ごさなければいけないなと、つくづく思いました」と振り返る。

また、2021年の春には、反田恭平氏のコンサートにも足を運んだそう。ショパンコンクール前のことであるから、さすが見る目が高い。感動したのはもちろんのこと、乗っている“旬の人”にはすごい力があるというのを何より感じたという。そうしたパワーやオーラをできる限り吸収すべく、いろいろな舞台を観に行くようにしているのだそう。

「料理を食べるというと味覚、嗅覚だけの作業と思われがちですが、五感すべてで感動するべきものだと思っているんですね。そのためには、まず、自分の五感を磨くことが何より大切ですから」

ある意味、料理はライブであると小室氏は言う。手品ではないけれども、どこかで驚かせることが必要だとも。例えば、見た目は普通なのに、驚くほど味が凝縮ししているとか、見た目や香りとはまったく異なる味がするとか。もちろん目指しているのは、本質をはずした驚かしではなく、むしろ本質だからこその驚きと言えばいいのだろうか。「食べたときに衝撃を与えたい」。小室氏の料理の発想の根源にはそんな思いも潜んでいるのだ。

「どこででも体験できるもののところには人は集まりません。ここでしか体験できないものに、人は価値を見いだすのです。一口噛んだときに口中が濃密な旨みで満たされ、驚く。そんな喜びでいっぱいにしたいと思っているわけです。とはいえ、一番大切なことは、肩ひじ張らずにくつろいで食べていただけ、食べ終わったあとにゆるりとした満足感に満たされること。それこそが、料理人としての一番の幸せです」

燗鍋(かんなべ)の名品
500~600年前と推測される、明の時代の七宝焼のふたに、江戸中期に酒つぎの部分を合わせて造らせた、燗鍋(かんなべ)の名品。

Photo Masahiro Goda Text Hiroko Komatsu