ル・マンジュ・トゥー 谷 昇 Noboru Tani

職人気質な日本のフランス料理界を支える重鎮

ミシュランガイド東京で12年連続二つ星を獲得する名店「ル・マンジュ・トゥー」を率いる谷昇氏。日本のフランス料理界を支える重鎮の一人でありながら、「自分は、昔たくさんいたスーパーシェフに比べれば、まだまだ」と謙遜する職人気質な人柄だ。飾らず、奇をてらうことなく、なおかつ圧倒的な存在感を放つ料理は、まさに熟練の極みといえるだろう。

技術の伝承と新しいことへの挑戦とのせめぎ合い

神楽坂フレンチの黎明期である1994年に開店し、いまだに第一線を走り続ける店がある。ル・マンジュ・トゥー。14席の小さな店だが、いつも多くの常連客でにぎわう。牛込神楽坂駅から市ヶ谷方面に徒歩6分、いわゆる神楽坂の中心からは少し離れるが、この辺りで外せない存在感を放っている。

オーナーシェフは谷昇氏。日本のフランス料理界を支える重鎮の一人でありながら、「自分は、昔たくさんいたスーパーシェフに比べれば、まだまだ」と謙遜する職人気質の人だ。

「ル・マンジュ・トゥー」谷昇氏

「僕らが修業した頃は、皿洗いから調理の細かいことまでなんでもこなせるシェフたちがいたんです。でも、そういうシェフは一般の人には知られていなくて、店の名前だけが知られていた。そういう時代だったんです。今は、日本人のシェフたちがパリで活躍するようになり、それぞれが個性を出すオーナーシェフの時代になりました。日本人の味覚の幅の広さは、フランス人には絶対に負けていません。だからこそ、オーナーシェフの名前が知られ、料理を作るよりも店をプロデュースするシェフの時代に、なるべくしてなったのです。しかし僕自身は、今でも一介の料理人。僕のような人間が伝えていかなくては、失われてしまう技術があります。一方で、新しいことに挑戦しないと時代に取り残されてしまう。そのせめぎ合いですよね」

片時も料理のことを頭から離さない仕事人間

65歳を過ぎた今も、週に5日は店に泊まり込む仕事人間。だが料理人を目指したきっかけは、元軍人の厳格な父親に進路を問われ、思いつきで口走った「料理人になりたい」の一言だった。

服部学園で学びながら、恩師の紹介を通して、当時はまだ少なかった在日フランス人シェフのアンドレ・パッション氏の店で修業を積んだ。

24歳で渡仏するが、勤務先でケンカをして飛び出した。

「2年間、フランス各地を旅して、町の食堂で郷土料理を食べて。でも、それが身になっているとは思いますね」
谷氏の修行時代の写真

帰国後は、ポール・ボキューズ氏が顧問を務めた銀座「レンガ屋」に勤め、ヌーベルキュイジーヌの洗礼を受ける。その後、実子を亡くし、店を転々とする荒れた時代も経験したが、六本木「オー・シザーブル」のシェフとして経営を学び、2度目の渡仏での三つ星レストランなどでの修業を経て、ついに「ル・マンジュ・トゥー」をオープン。隠れ家のような店で、谷氏が人生のすべてを表現しためくるめく料理に圧倒され、骨の髄まで満たされるような体験は「ル・マンジュ・トゥー」ならではだ。

「先のことは考えますが、妻も店のマダムである楠本(典子)も、谷は現場にいないとダメな人間だと言うんです。だから、お客様に料理をお出しすることは続けるでしょうね。料理について考えるのは、本当に楽しいですからね」

谷氏の修行時代の写真

若手料理人たちとの交流が糧に

「僕は、自分の感性だけで勝負ができるほどの才能はない人間です。だからこそ、若い世代とも積極的に交流を持って、彼らの感覚や意見を聞くことも大切にしています」と谷氏。店のスタッフとも「この料理、どう思う」なんて言いながら、気軽に料理談議をするのが好きだという。

「フランス料理はもちろん、日本料理や中国料理など、ジャンルを超えて幅広い世代の人たちと仲良くしてもらっています。皆さん、うちの店に食べに来てくれて、僕のほうからはスタッフを連れて楽しく食べに行かせてもらったりしていますね」

谷氏は年齢や経験年数で人を見ることはしない。

「人が抜けないものをカサに着るのは汚いでしょ。そんなことをしていたら、誰も何も言えなくなります」

こういう姿勢は、師匠のアンドレ・パッション氏に学んだそうだ。

「彼はフランスのリベラルな雰囲気そのままの人で、威張ることを一切しない。パッションさんとは年齢はそれほど変わらないのですが、今でも会うと髪をクシャクシャにされて『僕の息子』と呼ばれますよ」

「ル・マンジュ・トゥー」では厨房でも、若手に自由にやってもらっている、と谷氏。

「でも、最終責任だけは僕が取りたいので、ガス台の前とソースだけは譲りません。うちのような小さな店は、若手に伸びてもらって、人間力で維持していかないとな、と思っています」

「ル・マンジュ・トゥー」のメンバー
谷昇氏(右から3人目)とスタッフたち。谷氏はフランスの三つ星レストラン「クロコディル」などで修業した後、六本木の「オー・シザーブル」でシェフを務めた人物。サービスの中心、マダムの楠本典子氏も店に欠かせない存在だ。

愛読しているのは佐藤優さんの本

「人は食べないと生きていけません。だからこそ、ジャンルを超えてあらゆるものを取り込めるのが料理だと思っていて、それが僕のプライドかな。昔はダイビングやクルマが好きだったのですが、今は全部やめてしまって、気がついたらすごい仕事人間になっていましたね。今は本を読むくらいですが、それも料理につなげるためです」

そう話すのは、ル・マンジュ・トゥーの谷昇氏。特にお気に入りは、佐藤優氏の本だとか。

ル・マンジュ・トゥーの谷昇の愛読書

「元外交官で、インテリジェンスについてよく語られています。元外交官で、インテリジェンスについてよく語られています。それって、レストラン経営にもすごく大切なことだと思うのです。店自体は資金さえあれば誰でもできますが、それを維持していくには、いろんな人と交流を持って情報を集めたり、危機管理能力を高めたりすることが欠かせません」

たいてい店が終わってから朝方までは仕込みをして、その後、寝る前に1時間くらい本を読むのが日課だという谷氏。

「佐藤さんの本は面白いのでほとんど徹夜で読んじゃいますね」

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています