てのしま 林 亮平 Ryohei Hayashi

自分のルーツ、日本料理の源流

日本料理のよりよい未来へ

「てのしま」は、気取らない雰囲気で、飾らない、それでいて料亭仕込みの技術による日本料理が食べられる店。主人の林亮平氏が「みんなの和食」と掲げる通り、名店を食べ歩く食通からも、日本料理店初心者の若いお客からも人気を博している。そんな林氏は、この店を通して、日本料理のよりよい未来の実現をめざすとも話す。

菊乃井で過ごした17年間は「一瞬」だった

小さい頃から絵本を読むように料理本を読み、好きなテレビ番組は「キユーピー3分クッキング」。家が共働きだったため、小学校の頃から台所で簡単な調理をする機会もあった。

そんな料理が身近な幼少時代を過ごした林亮平氏だが、料理を職業にしようと考えたのは大学在学中、就職活動の最中。「料理人にならなかったら一生後悔する」との思いを無視できなくなり、著書に感銘を受けた「菊乃井」主人、村田吉弘氏に師事すべく同店の門をたたく。

「ツテはゼロ。やる気を示すために坊主頭にしまして(笑)、自分の思いを手紙にしたためて持参しました」

この覚悟を伝える作戦が功を奏したのか、その後、林氏は菊乃井で研修に入りそのまま就職。以降、17年間にわたり同店で働いた。

林氏のこの17年間は、料理人を超える経験を重ねる日々だった。というのも、入店からほどなくして、林氏は村田氏の補佐を担うようになったから。村田氏は日本料理界の牽引役として、活発にメディア出演や海外イベントなどを実施。その準備や指揮を林氏は任されたのだ。

菊乃井で過ごした17年間を、林氏は「一瞬でした」と表現する。それほど疾風怒濤を極めていた。しかし、だからこそ成長したとも言う。

「日本料理のトップを走り続ける大将(村田氏)の考えていることを間近で見て、聞いて、学ぶことができたのは得難い体験です。特に『日本料理の料理人たるもの、日本料理を通して社会貢献すべし』を有言実行する姿をもっとも近くで見られたなんて、こんなに贅沢なことはありません」

郷土料理などの伝統的な食文化を守りたい

そんな菊乃井時代を経て、林氏が「てのしま」を独立開業しようと決意したのには主に二つの理由がある。

一つ目の理由は自身のルーツを守るため。林氏の本家がある、そして幼い頃からたびたび訪れている島である手島(てしま)―香川県丸亀市の港からフェリーで1時間ほどの場所にある瀬戸内海の小さな島―の人口が20人をきったこと。

「このままでは近い将来、島のコミュニティーが消滅してしまうのは目に見えています。だったら私が手島に店を作ろうと考えました。そうすれば島の外から人を呼び、島に雇用を生み出し、人を増やすことができるのでは、と。そこにあった文化が失われてしまうことにも危機感を覚えました」と話す。

また、手島のこのケースは全国の限界集落に共通する問題であることにも気づいた。

「料理人目線からすると、特に郷土料理などの伝統的な食文化が失われるのは絶対に避けなくてはならないと思いました。そして日本料理の料理人こそ、そのための活動をすべきだとも。日本料理の源流は郷土料理にあるのですから」

にしんの漬物を漬ける壺
会津の伝統保存食、身欠にしんの漬物を漬ける壺で、写真のものは益子焼。てのしまではワインクーラーに使っている。「民藝の品々には惹かれます。昔からの日常に根付いた用の美がある。こういう料理を作りたいと思っています」(林氏)

日常の料理の見直し

林氏が独立を決意したもう一つの理由は、「日本料理の進化に取り組む」ため。

「今までの日本料理は、何十年にもわたって、定型を守ることを重視してきたように思います。もちろん伝統の継承も必要ですが、変化に取り組む料理人もいてこそ、発展するのでは。日本料理には今、発想の転換が必要だと思っています」

そんな発想の転換の一つと林氏が考えるのが、「日常の料理の見直し」だ。

「非日常の『ハレ』に対する『ケ』の料理です。この考えを明確に示すために、だしにおける『ケ』の存在であるいりこを店のテーマの一つに定めました」

いりこは、林氏の故郷の瀬戸内の名産で、自身のルーツとも直結する。また、「郷土料理にこそ、日本料理を進化させるヒントが詰まっているはず」とも言う。林氏は仕事で地方に行くことが多いが、「延泊して、その地の市場、スーパー、酒蔵、窯を巡るようにしています。特にスーパーのお惣菜売り場は楽しい。その土地独自の料理を見つけた時は最高にテンションが上がります(笑)」

郷土料理を食べることができる店にも足を運ぶ。「しみじみとおいしくて、感動します。こうした体験からヒントを得ているのです」

いりこ
てのしまは料理屋でありつつ、非日常の「ハレ」ではなく、日常の「ケ」の料理や食材を生かすことに意欲的。だしに用いるいりこはそんな同店の象徴。「ケ」の食材の力強さを保ちつつ、洗練を加えた料理をめざす。

次世代に何が残せるか、を真剣に考える時期に

なお自店を開いてから、林氏はあえて「高級日本料理店では使わない魚」を積極的に用いている。「仲卸や漁港の方々に、その時獲れたものを見繕って送っていただきます。そこから料理を発想しています」

このように、料理店ではほとんど見向きもされない魚を使うことは、日本の漁業の危機の改善にもつながる。

「日本ほど充実した魚食文化を持つ国は世界に類を見ないのに、日本では過剰漁獲の影響や、漁業をする方々の高齢化で、年々魚の獲れる量が減っています」

そんな状況を改善するため、今まで積極的に出荷されてこなかった魚を有効利用する。あるいは、決まった魚種にだけ注文が集まるという歪んだ状況を作らないようにする。

「危機を無視した料理人ではありたくない。次世代に何が残せるか、真剣に考えなくてはならない時期にきています」

地元で社会貢献をする、地方の食の課題を解決する、未来に郷土料理と食材を残す、日本料理を進化させる……。林氏が掲げるのはいずれも大きな構想だが、「実際に旗を上げてみると、不思議と共鳴してくれる人が集まるんです」と言う。

なお独立開業を考えた当初は、実際に手島に店を開こうと思ったが、「まずは東京に店を構え、信頼と発信力の獲得に努めることにしました」と言う。今、林氏は、それらを着実に積み重ねている。「いずれは島にも店を作ります。そのための第一段階が、今のこの店なのです」

てのしまの店内
カウンター6席、テーブル12席の温かみのある店内。壁には手島の土を練りこんでいる。

Photo Masahiro Goda Text Izumi Shibata