スリオラ 本多 誠一 Seiichi Honda

モダンスパニッシュを真摯に追求

モダンスパニッシュを代表する「スリオラ」は、バスクの食に魅せられたオーナーシェフ、本多誠一氏による店だ。4年前に麻布十番から銀座に移転。研ぎ澄まされた洗練と、スペインらしいぬくもりを併せ持つ料理を、一流が集まる銀座の地で追求する。

若いうちに、圧倒的においしい料理を食べてほしい

2011年に麻布にオープンし、15年に銀座に移転した「スリオラ」。その料理は、技術的、感覚的に研ぎ澄まされていながらも、どこかホッとするぬくもりのニュアンスや、スペインの食のおおらかさも備えているのが特徴だ。

オーナーシェフ、本多誠一氏の修業の入り口は、フランス料理。21歳で渡仏して、地方やスイスの三つ星店、二つ星店などで5年ほど学ぶ。その後スペイン料理に変更するが、若いうちにフランスに行ってよかったと思うのは、本当においしい三つ星の料理を25歳より前に食べられたこと。若い、まだ知識が入り込み過ぎない時期に「何なんだ!」と思うほど圧倒的な料理をある程度の回数食べるのは、料理人にとって非常に大切なのだ。本多氏の場合、例えば若いころ食べた「ポール・ボキューズ」の「舌平目のフェルナン・ポワン風」である。

「そのときの衝撃は今でも忘れられません。若い子には、本当にいい料理で、かつ、主役のはっきりとわかる料理を、借金をしてでも食べておいたほうがいい、と言っています。世の中には盤石で桁違に旨い料理があり、そうしたストレートなおいしさで自分の味覚のキャンバスにしっかりと下塗りを作っておく感じです。一定の経験を重ねれば、モダンな技術は調べればわかるし、すぐに自分のものにできます。でも、若い頃に受けるおいしさの衝撃は、そのときだからこそのもの。知識があると、分析してしまうんですよね。そんなフィルターなしに、25歳、遅くても30歳前に体験してほしい、と話しています」 本多誠一氏

フランス料理からスペイン料理へ

フランス料理の修業を現地で重ねていた本多氏だが、食事に訪れたスペインのサンセバスチャンで、同地の食の豊かさに夢中になった。早速、昔ながらの郷土料理を提供するサンセバスチャンのレストラン、「カーサ・ウロラ」を懇意にしていた食材業者に紹介してもらい、ここで4年間働いた。

エル・ブジの新しい料理が台頭していたものの、「当時はまだ“ガストロノミーの本道はフランス料理にある”という意識が強かった。フランスからスペインに移った時、正直、周りの日本人の料理人たちからは低く見られたんです」と振り返る本多氏。

「それでも、自分が60歳になった時、作っていたいのはどちらか? と考えたら、スペイン料理だった。進路の迷いは消えました」

本多氏が作り出すのは、スペインの食材を生かしながら考案したオリジナルの料理と、スペインの郷土料理をベースにした料理。いずれも繊細に、緻密に作り上げる。例えば、なめらかに乳化させたフォアグラの料理では、コクと香りを残しながらスルッと舌をすべり抜けるフォアグラの仕上がりは、まさに洗練の味わい。これに、深く繊細な甘みを持つペドロヒメネス(シェリー酒の一種)のゼリーを組み合わせた。

本多氏が作るフォアグラ料理はこちら

エビの出汁で仕立てた米料理アロス・カルドーソも、郷土料理そのもののしみじみとした風味を備えながら、細部まで完成度を追求してこそ生まれる明快なインパクトと、すっきりとしたキレを感じさせる。

本多氏が作る「アロス・カルドーソ」はこちら

スペイン料理に対する本多氏の深く温かい思い、そして表現の高みを目指す強い意志が一体となった料理は、ますます磨きがかかる。独自の世界を深め続けるその進化から、目が離せない。

スナップエンドウ
高知県のスナップエンドウと。「高級食材の特別感ではなく、普段の食材の格別な味を追求したい。それが今のテーマです」(本多氏)

Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています