招福楼 東京店 中村 成実 Shigemi Nakamura

料理人は職人ではなく文化人である

滋賀県に本店を構える「招福楼」の哲学を体現した東京店。どこを切り取っても一流の風格を見せる名店だ。92年より4代目を継ぐ中村成実氏の料理人としての在り方について伺った。

料理やもてなしの本質をお茶の心から学ぶ

招福楼の東京店は、丸ビルが竣工した2002年、その36階にオープンした。本店と同じ哲学を反映し、ビルの中にありながら、日本文化の粋を伝える静かな雰囲気を備える。とりわけ座敷の「十方の間」は、重要文化財である大徳寺孤篷庵忘筌席の写し。細部に至るまで小堀遠州好みの趣向が再現された、格調高い空間だ。

また、そのほかの小間や椅子席は、落ち着いたしつらえと窓の外に広がるビル街の景色の両方を楽しめる造り。招福楼の当主、中村成実氏が考え抜いて実現した設計だ。

「丸ビルの中に、日本建築が誇る座敷、そして茶席の空間を造り、お客さまをおもてなししたい。このように考え、小堀遠州好みの座敷、大徳寺孤篷庵忘筌席の写し「十方の間」を造りました。実際に茶事をできるよう、腰掛待合やにじり口も設けています」と中村氏。床の間と掛物は、座敷の品格を決める大切な場。特に掛物は、季節を伝えるもの。中村氏に紹介してもらったのは「一花開天下春」。遠州流茶道の12代家元、小堀宗慶による書だ。

「日本料理は総合芸術であるとよく言われます。この東京店には、月に一度、近江八日市の本店から翌月分の掛物や器を持ってまいります。今月はどれを持ってこよう、どんな組み合わせで空間を演出しよう……。じっくり時間をかけて悩むのもまた、楽しい時間です。日本料理は、考えることが本当にたくさん。仕事と思っていては体が持たない(笑)。趣味であり、生き方です」
招福楼・中村成実氏が紹介する掛け軸

「私どもは料理屋ですが、料理だけを考えることはありません」と中村氏。「たとえば、来月になったらこの器を使いたい。であるなら、これに映える料理は……という具合に、全体で考えます」。なので、料理人の個性が出る幕はない。

「今は個性の時代ですので、逆行しているのでしょう。でも、競争になっている中に入っていくのは大変(笑)。競争で、他との比較の中で評価されるあり方は好みません。料理やもてなしの本質は、別のところにある。それをお茶の心から学んでいます」

招福楼を形作っている思想は"文化人であること”

お茶と、その根底にある禅の思想が、中村氏と招福楼の哲学を形作っている。中村氏は、京都の名刹、妙心寺にて学生時代住み込みの小僧として過ごし、その後得度して修行した経験の持ち主。家業に戻ってからも師との交流を続け、また茶の湯を身につけた。料理屋の主人でありながら、文化人として日々、客人をもてなす。

「“料理人をめざして職人になるな。文化人になれ”というのは、父の教えなんです」と中村氏。父親の秀太良氏は、文化の粋が集まる現在の招福楼を作り上げた人物。「建築がわかる、陶芸もわかる、花も生けられる、食材もわかる、料理もわかる。それぞれ専門家がいるけど、全部を知るのが文化人。料理店の主人はすべて扱っているのだから、すべて勉強しなくてはいけません」

これが、招福楼を形作っている思想だ。一歩足を踏み入れると別世界が広がる。料理もまた、その世界の一部。料理を食べることで、季節ごと、文化ごといただく。そんな体験を提供する店である。

Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています