アロマフレスカ 原田 慎次 Shinji Harada

柔軟に、自分らしいイタリア料理を

1998年5月、広尾にオープンした「アロマフレスカ」は、翌年には“予約が取れない店”となった。以来、麻布、銀座へと場所を変えながら、変わらぬ人気を獲得。イタリア料理の精神を引き継ぎつつ、柔軟に、自分らしく料理に取り組むオーナーシェフの原田慎次氏は、一時代を築いてなお、自然体で進化する。

突き抜ける透明感、ぬくもりと奥行き

原田慎次氏の料理の特徴は、フレッシュで涼やか、香り豊かな点。食材の風味を生かすよう、火入れや組み合わせる要素を入念、かつ柔軟に追求し、他にない透明感あふれる料理を作る。その軽やかさ、鮮やかさ、自由さは、まさにコンテンポラリーだ。

一方でイタリアの食への思いも強く、独立前から何度もイタリアに通う。一番印象に残っているのは、田舎の大家族の食事に招いてもらった時のこと。

「庭のハーブを、大量のゆでたてのパスタにオリーブオイルとともに軽くあえたおいしさは、まさに格別です」

葛藤、そして自分らしさの確立

原田氏の昔の画像

独立開業への準備期間に、渡伊し料理を学ぼうとも思ったという。しかしこの時期、もう一つやりたいことがあった。それは、徹底的なテイスティングと試作。多種の塩、オリーブオイルを丁寧に味見し風味を把握したり、1日1万円の予算で毎日築地に買い物に行き、料理を試作したり。その結果、自分の中で香りと味に関する軸が確立。かけがえのないベースとなった。

1998年に独立し、翌年には予約が取れないほどの人気を得た原田氏だが、「あれはイタリア料理ではない」という声も当時、あったのも事実だ。そんな声に、原田氏は「引け目はあった。イタリアで修業をしていないコンプレックスで」と話す。

しかし2003年、そんな気持ちを完全に吹っ切る出来事が起きる。イタリアの著名ガイドブックの編集長が東京の主だったイタリアンを講評する雑誌の企画で、1位を獲得したのだ。「これはきちんとしたイタリアン」と、そのガイドブックの編集長が評価した。

「自分は間違えてなかった。そして、自分らしくていい。そう思えました」

野生児だった小学時代、バイトにはまった高校時代

食べ物に対する興味は、小さい頃から強かったという原田氏。

「私は栃木県の足利出身なのですが、母の実家があった鹿沼という自然豊かな場所で、小学校の頃夏休みを過ごしたのが、食の原体験として強烈に印象に残っています」

川に入ってヤスで魚を突き、河原で火で焼いて食べる。木の実でも野草でも、食べられると聞いたら何でも口に入れていた。本当に自然が深く、川の対岸に熊が現れたことも。

「その時は、ゴルフクラブを持ち出して兄やいとこと一緒にボールを打って、狙って遊びました(笑)。『川があるから怒ってもこっちには来られない』なんて言って。とにかく野生児で、その時に感じた自然の息吹は、もしかしたら料理人になるにあたっていくらかは役に立っているのかもしれません」

食の仕事に就こうと思ったのは、高校生の頃、週に5日、ガッツリとラーメン店でアルバイトをしたのがきっかけ。慣れたら、お客の少ない夕方の時間帯は一人で回していましたそう。ラーメン、餃子、野菜炒めなどのシンプルなメニューだがすべて作り、お会計も含め「いらっしゃいませ」から「ありがとうございました」まで全部やる。

それが楽しく、特に目の前でおいしそうに食べてくれたり、「ごちそうさま!」と言われるとやりがいを感じたそうだ。
原田氏の昔の画像

定番のラヴィオリ。メニューから外せない大事な一品

手打ちパスタの道具は、イタリアで買ったりいただいたものを、たくさん持っている原田氏。プロ用のものもあれば、家庭用の簡単なものも使っている。

「手打ちパスタはメニューに必ず入れています。コースは、当店の定番の品を中心に組む『メニュー アロマフレスカ』と新作も含む『メニュースペチャーレ』の2本がありますが、前者で欠かせないのが、約20年間作り続けている「じゃがいもを詰めたラヴィオリ バジリコ風味」です」

実は一時期、このラヴィオリをメニューから外したことがあるのだが、常連のお客から「あのラヴィオリ、食べたかったのに!」との声を多くいただいたそう。

「それまで、ラヴィオリについて何か言ってくださる方はほとんどいなかったのに(笑)! 長く作っている料理は、自分の中では普通すぎる存在になってしまうのですが、お客様にとっては当店に来た証しのように思っていただけている。定番料理の大切さを思い知りました」

そんな原田氏の料理は、年を経るごとに研ぎ澄まされてきている。集中すべき箇所を外さないから、他の部分で力を抜ける。そんな達人の域に達した原田氏がどう進化するのか、目が離せない。
アロマフレスカ原田氏の道具

Photo Haruko Amagata
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています