ボッテガ 笹川 尚平 Shohei Sasagawa

滋味豊かな郷土料理を

2017年1月にオープンし、わずか10カ月でミシュラン東京の一つ星を獲得。「ボッテガ」笹川尚平シェフが提供するのは、イタリアで長年愛されてきた、滋味豊かな郷土料理だ。変わらないように思えるその味は、実は食材や季節によって、微妙に、愛情深く変えられている。だからこそ何度でも食べたくなるのだ。

実は中国料理を目指して上京

料理人になろうと思ったきっかけは、母が富山県で喫茶店を営んでいたことだと話す笹川氏。

「子どもの頃、よく店のお客様にかわいがっていただきました。母は栄養学を学んでいたので、家でもおいしくてバランスのとれた料理を食べさせてくれたのを覚えています」

母親とは一緒にいろんな店で食事もしました、当時、富山ではイタリアンの店がほとんどなかった。

「あってもチェーン店が1軒くらいで、ちゃんとした店に行ったことがなかったので、より本格的な店があった中国料理に引かれました。それで、中国料理を志して金沢の調理師学校で学び、上京して雑誌などでもよく取り上げられていた評判の中国料理店で働かせていただきました。すごく厳しい店でしたが、先輩にもかわいがっていただいて、とても勉強になりました」

東京に出て、本格的なイタリア料理やイタリアの文化をよく知るにつれ、「自分がやりたいのはイタリアンではないか」と思うようになり、その店が移転するタイミングで退職。
「ボッテガ」笹川尚平シェフ

「1年足らずの勤務でしたが、本を読んで理解を深めること、医食同源の考え方、そして料理人としての在り方など、今に至る道筋を作ってくれたのはこの店だったと思っています」

郷土料理を深掘りし、いつもと変わらぬ“定番”を

中国料理から転身し、25歳でイタリアへ。1年かけてピエモンテからカンパーニャ、トスカーナをめぐって修業した。

「中国料理をしていた時から郷土料理を深掘りしたいという思いが強く、イタリアでも各地の文化を反映させた郷土料理に引かれました。煮込み料理もその一つですね」 

だが、帰国後、門をたたいたのはモダンな料理で知られる「アロマフレスカ」の原田慎次氏。

「毎日、毎日、満席でも、丁寧さを積み重ねるのが原田さんの仕事であり、料理。学ぶことは多かったですね。しかも、僕の経験も認めてくれて『責任は自分が持つからやってみなよ』と、姉妹店『カーザヴィニタリア』のシェフを任せてくださいました。あと、店は持ってからが長いという話をしてくれたこともあり、勢いで独立するべきじゃないな、と焦る気持ちが消えました」

そして、満を持して40歳で「工房」を意味する「ボッテガ」をオープン。大人の雰囲気が漂う店内は、「心を込めて焼いています」というフォカッチャの香ばしい香りに包まれていた。

「フォカッチャやパスタも、その日の気温や湿度、食材によってレシピを調整します。その加減こそが、料理人の腕の見せどころじゃないかと思うのです。次々に新しい料理を作るよりも、そうやって一つのものを探求して、掘り下げていきたいと思っています」

古書に魅せられて

「最初に働かせていただいた中国料理店で薦められて、神保町の古書店を何軒も回って手に入れたのが『随園食單』です。中国料理を学ぶ者にとってはバイブルのような本で、今でも乾燥を防ぐためにラップで包んで大切に保管しています」

『LE RICETTE REGIONALI ITALIANE』は、イタリアでの修業時代に、同僚にあれこれ質問していたら紹介されて購入した本。全イタリアを回って仕上げられた郷土料理の本で、ある食材に対して、どういったハーブやスパイスの使い方、組み合わせがあるのかなど、州ごとに細かく書かれている。

「本の内容を自分で食材別に表にまとめ直したりして、ただただ『好きだから』という気持ちで辞書を引きながら3年かけて読み込みました。」

文庫よりも古いハードカバーが好きで、開高健氏の『最後の晩餐』もその一冊。

「重要だと思った文章などは読み返しやすいように、ノートに書いてまとめています」
笹川氏の本

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています