銀座ふじやま 藤山 貴朗 Takao Fujiyama

京都から東京―本当の挑戦の舞台へ

京都の料亭「高台寺和久傳」で総料理長を務め、45歳で独立。東京・銀座の中心地に自らの店を開業した藤山貴朗氏。伝統の高みを極め、新たな挑戦を始めた料理人は今、次なる目標を定めていた。オープンから1年を待たず『ミシュランガイド東京2020』で一つ星を獲得した、「銀座ふじやま」を訪れた。

女将の体当たりの教えが私の財産

濃厚な白子のスープに豆腐を浮かべた、滋味深い椀。「お椀で奇をてらうことはしません。お椀を飲んで季節を感じ、ほっとしてもらうのが、日本の文化だと思います」と藤山貴朗氏は言う。

食材を生かし、シンプルに。繊細な料理もあれば、豪快な料理もある、緩急のある献立が、長年勤めた京都の料亭「和久傳」(わくでん)らしさであり、自身に根づくものだという。

「和久傳は特殊な店で、主は料理をしない女将です。だから料理に関しては、女将に意見を聞くことはあっても、基本的に料理長に任されています。料理人はおのおの、先輩に教わったり、自分で考えたりして、和久傳らしさを身につけます。だから、人が育つのです」
お椀

京都生まれ、京都育ち。18歳から板前割烹で働き始め、24歳で和久傳から声がかかった時は、「独立する前に2、3年、京都で最高の料亭を経験するのも悪くはない」というつもりだった。それが、27歳から室町和久傳の料理長を5年、32歳から高台寺和久傳の料理長を5年務め、総料理長となってから10年。20年以上を和久傳で過ごした。

「料理もおもてなしも、僕が経験したものとはレベルが違い過ぎてショックを受けました。若い頃から料理長を任せてもらい、たくさん恥もかきましたね。生意気だった自分に対して、女将が毎日、料理の出し方、言葉遣い、玄関の空気感まで、料亭のもてなしや文化を体当たりで教えてくださったことが財産になっています」

そんな藤山氏が独立の場に東京を選んだのは、本当の挑戦がしたかったから。

「これからは、東日本の食材も使っていきたいですね。そのためには産地をめぐり、新たに人脈を築かなくてはいけません。それが今後の目標ですね」

京都の本物を銀座に

「東京に店を出すにあたり、京都の本物の数寄屋造りの店を銀座の真ん中に出現させたいと思いました。それで、新築のビルへの入店でしたが、内装は京都の数寄屋大工さんにお願いしたのです。ただ、伝統の数寄屋造りに、現代のものや、自分の好きなものを取り入れたいと思いました」

  • 「銀座ふじやま」店舗画像
  • 「銀座ふじやま」店舗画像

古材も使っているが、「西洋の材を使って数寄屋を造る」というのがコンセプトだ。床柱は、知り合いで漆の木を自分で育てている塗師(ぬし)さんのお宅にお邪魔した時、漆を取り切って役目を終えた木が庭に置いてあったのを譲ってもらって、数寄屋大工さんに頼んでほぼそのまま床柱にしてもらったそう。

「稲穂の飾りは、店でお出ししている丹後の米を使った僕の手作りです」

カウンターはレッドウッド(杉)を使用し、木目が浮き出る“浮造(うづくり)”に。石にもこだわっていて、カウンター室に置いているのは丹後の石で、床の間の柱の下の石は、貴船のもの。神社の橋に使われていた栗の古材をベンチにしたり、神主さんの笏(しゃく)の材料であるイチイを使ったりもしている。「全体としては、洋木の持つ“ざんぐり”とした、独特の雰囲気があると思っています。料理とともに空間も楽しんでいただけたら、うれしいですね」と話す。

Photo Satoru Seki Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています