懐石 辻留 藤本 竜美 Tatsumi Fujimoto

日本料理の伝統、茶懐石の真髄に重なる柔軟な心

簡素にして独自の美学

明治時代、裏千家に手ほどきを受けた辻留次郎氏が仕出しの専門店として京都に構えた「辻留」。2代目の嘉一氏は茶懐石の店を東京にオープンするとともに、多数の著作やテレビ出演を通して、プロと一般の人たちに日本料理の思想と技術を広く伝えた。そして3代目の義一氏は北大路魯山人に師事、素材を最大に生かす料理を習得。そんな辻留の歴史を継ぐのが、赤坂店料理長の藤本竜美氏だ。

37年間「辻留」一筋

辻留 赤坂店の料理の責任者を務める藤本竜美氏は、高校卒業後に辻留の赤坂店に入ってから37年間にわたり同店一筋に経験を重ねてきた。藤本氏の実家は仕出しの専門店を営んでいたため、小さな頃から日本料理に親しむ環境にあったという。そこから人の紹介を得て、日本を代表する茶懐石の店へ。辻留2代目の辻嘉一氏の晩年に触れるとともに、3代目の義一氏に長く師事した。

「先代(嘉一氏)は、店に入りたての小僧だった私にとっては雲の上のような存在。時折お軸などの届けものをした時は『よっしゃ!ご苦労はん!』なんて言って、サインをした著書を下さることもありました」

一方、義一氏は師匠でありながら父親のような存在。「主人(義一氏)は料理については厳しいのですが、人としてはとても優しく、東京に出たての私を東京案内に連れ歩いてくれました。今も大切な思い出です」
「辻留」赤坂店料理長の藤本竜美氏

北大路魯山人から受けた強い影響

辻留といえば辻義一氏が師事した縁から、北大路魯山人と深いつながりがあることでも知られている。魯山人は型にはまらない美意識を貫いた、書家にして篆刻家、陶芸家にして料理も能くした巨人。藤本氏はきわめて強い影響を受けたと話す。

「書籍を通して考えや生き方を学びましたし、当店にある魯山人の器からも日本料理における器の“美”を知りました。また、魯山人が逗留した料理店や旅館を訪ねて、その足跡を追いかけたり(笑)。もちろん、『素材の持ち味を生かす』を説いた料理の考え方も、私の料理人としての方向性を形作っています」

一方、辻留がその思想を体現している茶懐石においても「素材そのものを味わう」は鉄則。四季を反映し、素材に極力手をかけず、それでいて洗練を生み出すのが茶懐石の本分である。

「お茶は、日本文化の核にあるものです。軸、花、道具、茶器など全てに意味と意図があり、総合演出でお客をもてなす。その中で、料理は一部であり、最高のお茶を飲むための料理なのです。しかしその一部でいられることは、非常に誇りだと思っています」

  • ご飯茶わん
    陶芸を能くした辻義一氏に憧れ、藤本氏も若い頃陶芸教室に通った。その時に作った、織部の小ぶりのご飯茶わん。
  • 「辻留」藤本竜美氏愛用の包丁
    右から鱧切り包丁、柳刃包丁、出刃包丁。柳刃と出刃は長年使い、研ぎ続けることでずいぶんと短くなったが、大切に愛用する。

幅広い文化から学ぶ、料理のインスピレーション

日本料理の伝統の芯を捉えた料理を作る藤本氏だが、意外にも料理のインスピレーションは幅広い文化から得ているという。

「たとえば音楽はクラシックもポップスも聴きます。やはり心に響くのは、誰もが美しいと感じる安心できるメロディーと、起承転結がある曲」。このように少し分析的に曲を捉えることで、学ぶことは多いという。「料理も同じ。皆に親しまれる素材を使いながら、コースの展開でその素材の魅力をより強く感じていただける流れを作るように心がけています」。

また、「ドラマを見るのも好きです」とも。ちなみに藤本氏の近頃のお気に入りのドラマは、大学生の娘と共に見る韓流ドラマ。大胆な展開に惹ひ かれるという。「音楽も韓流は好きです。BTSなども聴きますよ(笑)。聴いていて楽しいですし、やはり売れる音楽には理由があります」と話す。

日本料理の伝統、魯山人の教え、茶懐石の真髄を体現している辻留の料理。そのベースの上に、藤本氏の柔軟な心が重なる。だからこそ辻留の料理は格調がありながら生き生きとした、シンプルなようでいて他にない魅力を放ち続けるのだろう。

Photo Satoru Seki