ミモザ 南 俊郎 Toshiro Minami

上海の日常料理をナチュラルに、本格的に

個性豊かな若手料理人が多く登場している、昨今の中国料理。その中でも注目を集めているのが、「ミモザ」の南俊郎氏だ。上海の昔の日常料理の中に、中国料理の知恵、伝統の味覚構成、シンプルだが的確な技術を見いだし、旬の食材と組み合わせる。そんなナチュラルかつ洗練された料理で、多くの人をとりこにする。

料理では、常に軽やかさを意識

昨今、若手料理人の活躍が目覚ましい中国料理。南俊郎氏が2016年にオープンした「ミモザ」は、その中でもひときわ注目を集めている。

ミモザの店内画像

「ミモザ」が位置するのは青山通りから少しだけ入った、静かな路地沿いのビルの2階。入り口はごくさりげなく、店内はオープンキッチンを中心とするすっきりとしたレイアウト。グレーを基調としたシンプルなデザインが印象的だ。

この空間で提供されるのは、昔の上海の日常料理をベースとする品々。単品とコース、両方をそろえる。「料理では、常に軽やかさを意識しています」と南氏が話す通り、どの品も中国料理の香りをまといながら、食材が生きていてナチュラル。体にすんなりと入ってくるのが魅力だ。

本格的でありながら自然体

南氏が修業を開始したのは、大学卒業後。「昔から料理への関心はありましたが、決心がついたのは、就職も決まっていた大学の卒業時」だという。やはり料理の道へ、と大阪の調理師学校に入り、通学と並行して大阪の「空心」で働いた。そのまま同店に就職し、中国の食文化に通じたオーナーシェフの大澤広晃氏による、伝統と独創を組み合わせた料理を習得。二番手を務めたのちに東京に移り、食べ歩きをして最も引かれた新宿の「シェフス」へ。ここで6年半働き、うち4年半は料理長を務めた。

シェフスで身につけたのは、上海の上流家庭の料理。ごくシンプルでありながら、繊細な技術を生かすのが特徴だ。奥深い味わい、かつ上海の人が毎日食べても飽きない。そんなシェフスの料理は、南氏が理想とする料理像に大きな影響を与えた。

「日々食べる料理こそ、理にかなっていておいしい。余分な手が加わっておらず、無理がない」と南氏。

ハレの日を彩る宴会料理や、クリエーティブでモダンな料理も楽しいものだ。しかし食べ終えた時にホッとするような、それでいて中国伝統の味の構成や技、そして洗練も備えた料理が、今、とても新鮮で人々の心に響く。

本格派でありながら、自然体。若くして、理想形が明確。そんな南氏の料理から、目が離せない。

ミモザの店内画像

現代アートが昔から好き

「ミモザ」の店内には飾りはほとんど置いていないが、唯一あるのが現代アートだ。

「今かけているのはアメリカの20世紀美術の巨匠、サイ・トゥオンブリーの作品で、レオ・キャステリ ギャラリーという、現代アートで有名なギャラリーがニューヨークにあるのですが、サイ・トゥオンブリーがそこで60年代に個展を開く際に送った案内状です。案内状ですからもとは折りたたまれており、その折り目もまた魅力。これは私がアート好きだと知っているお客様からお借りしています」

南氏が所有しているのはカウズのリトグラフだけ。「まだまだ若いので、これからコレクションしていきたいですね」と話す。
「ミモザ」の店内に飾られた現代アート

アートに関心を持つようになったきっかけは、現代建築。大学の頃から好きで、そこから徐々に現代作家へ興味が移ったという。

「今は料理の道に進んでいますが、決めたのは大学卒業後で、少し遅いんです。それまでに広げた興味の対象が、今、店の雰囲気に少し反映されているのかなと思います」

上海料理の源流の地、杭州はおすすめ!

中国の日常的な料理が好きなので、現地にはよく行くという南氏。

「香港なども面白いですが、やはり自分の料理のベースとなっている上海の古い日常料理と出合う旅がいいですね」

南氏が特に好きなのが、杭州。美食で知られた古都で、上海料理の原型をここに見ることができると話す。

「というのも、昔から上海は大都会なので、周りのエリアから人が集まってきて形作られたような街。杭州は、その「周り」の一つなのです。現在の江蘇省や、杭州のある浙江省にあたる地域は、古くから米がよくとれる食文化の豊かな場所で、醤油や黒酢といった発酵食品のふるさとでもあります。そんなエリアから集まった人たちが作り上げたのが、上海料理なのです」

大都会である上海に比べると、今ものんびりとしていて過ごしやすい杭州。風光明媚なので、ちょっとしたリゾートのような雰囲気もある。

「そしてレストランが、上海の高級店と遜色ない店でも割安(笑)。そんな店で、思わぬ伝統料理を見つけたりすると、本当にうれしいですね。上海から杭州は、のぞみにそっくりな新幹線で1時間弱の距離。頑張れば、東京からでも週末の弾丸で行けます」

Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています