トラットリア シチリアーナ・ドンチッチョ 石川 勉 Tsuyoshi Ishikawa

シチリア料理の立役者

日本でシチリア料理といえば、「トラットリア シチリアーナ・ドンチッチョ」石川勉氏。スタッフ同士の掛け声も心地よい、活気あふれる店。肩ひじ張らず、腹の底からおいしいと思える本場の香りの料理。この店ではまさにシチリアの“心”を体験できる。

シチリアに心奪われて

ひょんなことからイタリアンの「ラ・パタータ」に入って、のちに「クチーナ・ヒラタ」を開業する平田勝氏のもとで働くうちに、どんどんイタリアンに惹かれるように。そして3 〜4年後に初めてイタリアへ。主要都市を回る35日間の長い旅だったが、最初の地、ローマで完全にはまった。

「街を歩いていて、レストランの前で仕込みの匂い—ニンニクやトマトを焼いたり煮たりする匂い—を嗅いで、『あ、パタータと同じ匂い!』と。これがイタリア料理だ、と確認できてますます好きになりました」

その後いったん帰国し、資金をためてからシチリアへ。84年のことだ。

「当時、ローマ以南は治安が悪いので行くなと言われていたのですが、どうせ行くなら日本人が誰も行っていない場所に、と。日本人はおろか、アジア人も珍しい土地。シチリア人も最初はなかなかよそ者を信用しないので、打ち解けるまでに時間はかかりましたが、一度入り込むと家族のように温かく迎え入れ、面倒を見てくれる。そんな人情の厚い人たちに助けられながら修業期間を過ごしました」

石川勉氏の修行時代

石川氏がシチリアで修業をしたのは1984年から1年間。「行ってすぐにシチリアの魅力に心奪われました。海岸を列車で移動したのですが、右は真っ青な海、左は濃い緑、その中に色鮮やかなオレンジとレモンがたわわに実る……。そんな絵のような光景を、今もはっきりと覚えています」

修業先はシチリア第一の都市、パレルモ近くのリゾートビーチにある名店「チャールストン」。1年間を過ごした。この時の仲間とは今も深い繋がりを持つ。折に触れて連絡を取り合う家族のような間柄だ。

石川勉氏の修行時代

徐々にシチリア料理を充実させる戦略へ

帰国した石川氏に、シェフとして腕をふるう機会が訪れたのが西麻布「ラ・ベンズィーナ」のシェフになった時。「でも、当時の東京は、シチリア料理に絞るのはマニアック過ぎという状況。『シチリアといえばこれ!』のイワシのパスタも、評判がいまいち(笑)。なので“南イタリア”というカテゴリーを打ち出し、その中で、少しずつシチリアを充実させていく戦略でした」と話す。

商社と掛け合い、当時はほぼ皆無だったシチリア産のオリーブオイル、塩、ケイパー、アンチョビ、パスタなどを、徐々に輸入してもらうように。充実したシチリア料理を作れる環境を整えていった。

シチリアへの深い「愛」

そして満を持して2000年にオープンした自店が、外苑前の「トンマズィーノ」。連日満席の話題店となり、シチリア料理の魅力を一気に広く伝えた。2006年に青山に移転、「ドンチッチョ」に。料理の勢いはそのままに、シチリアを中心とするイタリア各地で集めたアンティークのアイテムが、一層現地の空気感を演出。リラックスしておいしい料理を楽しみながら、シチリアにトリップできる店として、移転から13年が経とうとする今も熱い人気を集める。

シチリアへの深い「愛」を持って、日本のシチリア料理を引っ張っている石川氏。しかし本人はいたって自然体。キッチンに立ち続け、シチリアの魅力を楽しそうにスタッフに、そしてお客に伝え続ける。それが、まさにシチリアのスタイルだということを、身をもって示している。

長年通っても全然飽きない

「シチリアには長年行き続けているのですが、全然飽きない! むしろ行くたびに発見がある」

シチリアは四国の1.4倍ほどあり、高い山、個性的な海岸、小さな島もある。行ったことのない土地、食べたことのない料理がまだまだあるそうだ。

「最初に修業した店のシェフやスタッフとは家族のような付き合いで、行くたびにいろいろな情報をくれたり、案内したり、人を繋いでくれたり、本当によくしてくれます。縁あって、貴族の人の家の食事会に行ったこともありました。見たことのない料理が並び、歴史の中で脈々と生きている文化の深さに驚いたものです」

チッタ・ディ・パレルモのグッズ

とにかくシチリアが大好き。応援しているサッカーチームも、パレルモが本拠の「チッタ・ディ・パレルモ」。ピンクと黒がクラブカラーで、店にはそのグッズを飾っている。

「自分で買ったり、いただいたりで、増える一方です(笑)」

Photo Haruko Amagata
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています