南禅寺 瓢亭 日比谷店 髙橋 義弘 Yoshihiro Takahashi

“瓢亭らしさ”を大切にしつつ、時代に即したチャレンジを

世界に名をはせる、創業450年の京料理の名店「瓢亭」。2018年に「南禅寺 瓢亭 日比谷店」をオープンさせたことでも話題の15代目・髙橋義弘氏による、DNAに刻み込まれた伝統と、時代に即した発想が光る「瓢亭」ならではの茶懐石は、まさに日本が誇る食文化の一つだ。

将来の夢はもちろん料理人。歴史ある名店の15代目

小学校の作文では「将来は料理人になる」と書いた。「瓢亭」の15代目である髙橋義弘氏は、幼少期からモノづくりが好きで、仕事で両親の帰宅が遅いと、自分で卵焼きを焼いて食べるのが当たり前だった。小さい頃は好き嫌いが多かったが、瓢亭玉子と朝がゆは大好きで、特に食欲のない夏はその二つばかり食べたという。

見識を広げるために東京の大学へ行き、卒業後は父親の勧めで金沢の料亭「つる幸」へ。洗い場や飯炊きから始め、揚物の担当までして京都に帰った。450年の歴史と人に囲まれ、重責の中でも自然体が光るのは、自身も稽古を積んできた茶道の影響もあるだろう。「お料理の出す順番を意識したり、利久箸を使ったりして、食と一緒に茶文化の発信もしたいと考えています」と襟を正す。 南禅寺 瓢亭 日比谷店

「瓢亭」の450年の伝統と変化

およそ450年前、京都・南禅寺境内の門番所を兼ねて、南禅寺総門外松林茶店(腰掛茶屋)として暖簾を揚げたのが「瓢亭」の始まり。当時から茶と菓子以外に、煮抜き玉子を提供していたという。幕末に出された『花洛名勝図会』という書物でも、瓢亭は京の名勝の一つに数えられていて、半熟鶏卵が名物とされている。今でも瓢亭玉子を始め、朝がゆや茶懐石という伝統を守り続けているが、瓢亭らしさは大切にしながら、時代に合わせて常に新しいことに挑戦し、変化してきた。

「京都のイメージが強いと思いますが、かつて渋谷のパルコに出店したこともあり、全国各地でイベントを開催するなど、食文化の交流のために積極的に外に出てきたという経緯もあります。日比谷ミッドタウンにオープンしたのも、東日本の拠点として機能させるためです。実際に、東北などでイベントを通してご縁のあった方々も来てくださっていて、うれしいですね。私自身は京都に3日、東京に4日、その間にイベントがあったりして、ほとんど休みはありませんが、せっかく新しい拠点を得たので、例えば京都の料理人と何人かでイベントをするなど、いろいろとやってみたいことを考える日々です」

先代の、父・英一氏から学んだこと

「幸いにも、父の英一とは調理場で20年近く仕事をすることができています。父はもう80歳ですが、今でもよく茶懐石の指導などに出かけています。父から一番学んだのは、コミュニケーションの部分ですね。挨拶を大事にするとか、モノの扱い方、人との接し方、意識、態度。そうしたすべての中で、自分なりに努力して豊かな人間性を作ることが大切です。父は若い頃、菊乃井の村田吉弘さんのお父さんによくしてもらっていて、その後は父が吉弘さんに助言する立場になり、今は私が村田さんにお世話になっています。こうやって京都では代々よい人間関係が続いて、日本料理が受け継がれてきたのだと感じています」

また子どもの頃、栄一氏が上京する際について行って、評判のフランス料理店で食事をしたのも印象に残っているという。「父と行くのはだいたいフランス料理なのですが、和食とは味の構成や盛り付けの自由度がまったく違うので、勉強になりますね」と話す。
「南禅寺 瓢亭 日比谷店」髙橋義弘

時間を見つけて親しむ茶道

茶懐石を出していることもあり、お茶は「瓢亭」で働き始めてからずっと続けているという高橋氏。昔は先生について全国大会の手伝いに行ったりもしていたが、最近は時間がなくて稽古に行くのが精一杯という多忙な日々を送る。

「一服したいとき、コーヒーの代わりにお抹茶を飲むのも好きですね。京都では何かとお菓子をいただくので、お茶請けには事欠きません。日比谷店にも茶室があって、今度、初めてお茶会をするんですよ。スタッフにも今後もっと稽古を受けてもらう機会が作れたらな、と思っています。器や道具はもともと好きで、京都では京焼が主流ですが、最近は志野や織部などの土ものも面白くて好きですね」

「瓢亭」髙橋氏の器

写真は、織部焼の瀧川恵美子氏(右)、志野焼の加藤亮太郎氏(左)、信楽焼の辻村塊氏(奥)の作品。この他、器は京都の店でもともと使っていたものや新しく作ってもらったものなどをいろいろとそろえ、東京と京都で替えている。

「京都と日比谷店に通う常連のお客様も多いので、献立がかぶらないように毎回、お料理を変えます。すごく献立がたまりました」とも話す髙橋氏。

伝統はもちろん、15 代目その人の料理を味わいに、人々は今日も「瓢亭」へと足を運ぶ。

Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています