ピエール・ガニェール 赤坂 洋介
パリの本店と変わらぬスピリットを
希代の天才シェフ、ピエール・ガニェール氏の名を冠したレストランがANAインターコンチネンタルホテル東京内にある。そのシェフを務めるのが、赤坂洋介氏。師からの信頼厚い赤坂氏による料理は、ガニェール氏の感性を具現するようなたたずまいを見せる。
フレンチの鬼才・ピエール・ガニェール氏からの厚い信頼
ピエール・ガニェール氏といえば、「鬼才」。1981年に自店をオープンしたら、類いまれな美的センスと自由闊達な表現で、業界に大きな衝撃を与えた。以来、変化の激しいフランス料理の世界で、40年近くにわたり、存在感を発揮し続ける希有な料理人だ。
ANAインターコンチネンタルホテル東京内のレストラン「ピエール・ガニェール」は、2010年に開業。その開業の翌年からシェフを務めているのが、赤坂洋介氏である。エグゼクティブシェフ就任時は32歳の若さ。03年からパリのガニェール氏の店で修業して以来、氏のもとで働き続けてきた経歴を持つ。
現在はピエール・ガニェール氏の厚い信頼のもと、料理の考案から任され、パリの本店と変わらぬスピリットを、日本の食材を用いながら、1品ずつの料理として具現化している。
古き良き伝統的な仕事の体験が、揺るぎないベースに
赤坂氏は、調理師学校を卒業して間もなくフランスに渡り、現地で料理修業を始めた。フランスでの最初の修業先は、東部ブザンソン近郊にある一つ星レストラン。ここで2年半過ごした。
「立地は山の上、すごい田舎で、道路に牛が歩いているような場所です。ただし、レストラン自体はレベルが高く、クラシックな料理を丁寧に作っていました」
今ではなかなか見ることができない、古き良き伝統的な仕事を体験。これが赤坂氏の揺るぎないベースとなっている。
なぜシェフはこうするのか?を考えた日々
その後、アルザスの三つ星店「オ・クロコディル」を経てパリのガニェール氏の店に入った赤坂氏。
「最初は、何をやっているのか全然わからなかった(笑)。しかし、なぜシェフはこうするのか? を頭で考えるうちに理解できるようになりました」
そして、天才的なセンスを発揮するガニェール氏だが、ソースのおいしさを重視するなど、フランス料理の伝統をベースにしていることに気づく。
「ガニェール氏はよく『料理はファッションじゃない。そしてレストランは食事をするところ。おいしさで感動をもたらし、人をつなげるのが料理。そのためにレストランはある』と言います。私も全く同意見です」と赤坂氏。日本の食材をフランス料理の技術、そしてガニェール氏のエスプリで仕立てている。
基礎をまとめた本は、常に指針になる
赤坂氏がフランスに渡ってから初めて働いた店のシェフが薦めてくれて購入したエスコフィエ著『ル・ギード・キュリネール』。フランス料理のフォン、ソース、料理を網羅し、体系的にまとめた大著だ。
「発刊は今から120年近く前ですが、現在に至るまでフランス料理人のバイブルになっているほどの存在。掲載されている料理は当時のものですので、今となっては古典そのもの。しかし、それが参考になるのです。私も料理を考えるとき、パラパラ眺めることがあります。それだけで、ヒントを得られます」
もう一冊、同じシェフに『レペルトワール』という本も薦められて購入し、それも今に至るまで大切に保管してある。この本はいわば『ル・ギード・キュリネール』の簡易版。「レペルトワール」とは「レパートリー」、つまり知っておくべき基本的な料理やソースが多種類網羅され、まとめられているという。
キャッチボールで料理を詰める
赤坂氏がこの店のエグゼクティブシェフに就任したのは32歳の時。ものすごいプレッシャーだったと話す。シェフ就任からしばらくは、料理を考案する際「ガニェールさんはこう考えるだろう」という視点と、「この食材は、こう仕立てるのが最適」という視点があり、自身でも混乱してしまうことがあった。
「4年ほどした頃、ガニェールさんから『あまり私のことは考えるな』と言われて吹っ切れました。料理はシンプルになり、生き生きとし、そして不思議なことにガニェールさんのスピリットも自然に出るようになりました」
東京店の新メニューは、赤坂氏が考え、ガニェール氏が意見をし、キャッチボールをしながらまとめ上げている。
「写真をデータですぐに送れるし、スカイプもあるし、今は便利ですね。70歳近くになっても最新の通信技術を使いこなしているガニェールさんもまた、すごいと思います(笑)」
Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています