ナベノ-イズム 渡辺雄一郎 Yuichiro Watanabe

目指すは、日本人の心とフランス料理の融合

2004年から11年間にわたり、「ジョエル・ロブション」の日本人シェフの任を務めた「ナベノ-イズム」渡辺雄一郎氏。その前もロブションの店で10年間過ごしており、実に21年もの年月をロブションのもとで働いた経験を持つ。日本人の誰よりもフランス料理界の巨匠たちから薫陶を受けた渡辺雄一郎氏が築き上げたものとは。

皇帝のようなグラン・グランシェフ
ジョエル・ロブション

「僕にとって、ロブションさんは大師匠。グラン・グランシェフ。すべてを教えてくれた存在です」

年に3~4回、ガラディナー開催のためロブションは来日して1週間滞在するのが通例だったが、その滞在時、店で先頭に立ってロブションを迎えてきた渡辺氏。「ボンジュール シェフ!」とフランス式にビズをしたのち(ロブションとビズできるスタッフはまれ)、パンと頬をたたかれるのがいつものあいさつ。

「これが、そこそこ強いんですよ(笑)。『家族は元気か? 子供は元気か?』と聞いてきてくれました。皇帝のように厳しく君臨しているのですが、それと同じくらい優しさにもあふれていました」

現役時代のロブション

渡辺氏がロブションの店の厨房に入った時、「私が肉部門のシェフでコンビを組んだのが、今『リューズ』の飯塚隆太シェフ。80席のダイニングが昼夜満席という忙しさで、厨房の組織作りも手探り。まさにカオス(笑)。飯塚シェフと支え合って乗りきったのも今となってはいい思い出」だという。飯塚シェフとは日々料理談義を深め、「ロブションさんが求めるジュ(焼き汁)とは?」など試行錯誤も重ねた。 「ナベノ-イズム」渡辺雄一郎氏の昔の写真

「当時はパリにもムッシュの店があり、『東京もパリと同じ料理』というコンセプト。ものすごいプレッシャーでしたが、スタッフ一同にとって最高の誇りでもありました」

とりわけ、ロブションがかつてより宣言していた通り、51歳で料理人を引退した1996年より前にロブションのもとで働くことができたという経験は何ものにも代え難い。

「現役時代のロブションさんの料理に携われたこと、また彼の集中力、厳しさを同じ厨房でともにできたのは、幸せでした」

一方で、2004年の新生「ジョエル・ロブション」で渡辺氏がシェフに就任すると、それまでロブションが許していなかった“和の食材や要素を取り入れながら、フランス料理に着地させる”という方向を積極的に探り、その道筋を作った。
「ナベノ-イズム」渡辺雄一郎氏の辻調理師専門学校フランス校研修時代

シェフ就任直後、初めてロブションの来日を迎えた時に、提案したのが甘鯛の料理。甘鯛、百合根、柚子など日本の冬ならではの素材を集め、甘鯛では衣をサクッと仕上げる和食の技法、松笠焼きを導入。和の要素を用いつつフランス料理に着地させ、ロブションにも認められた一品となった。

「応援する」と送り出された

数多ロブションとの対話の中でも、もっとも思い出に残っているものを挙げるとしたら、「やはり辞めることを伝えた時ですね」と渡辺氏。

「その週の金曜日にあるガラディナーに向けてムッシュが来日した折、最初にレストランに来る月曜日にタイミングを見計らい、『お話があります』と切り出したんです。そうしたら『忙しいから後で』と。火曜日も同じ。スマホをいじっていて、どう見ても忙しそうではないのですが(笑)。木曜日にやっと、『明日はガラディナーで私も準備がありますので、今日お時間を!』と言ったら、バーのスペースに呼ばれて」
「ナベノ-イズム」渡辺雄一郎氏の昔の写真

相談の内容を見通していたロブションは、座るとすぐ「全部話しなさい」と言ったという。渡辺氏は退職と独立開業の計画を伝えたところ、「どこでやる?」「価格帯は?」「家族は養えるのか?」と細かく確認。最後まで説明したら「ブラボー、ワタナベ!」といつものビンタをパンッと張り、その後抱き寄せた。

「『21年間本当にありがとう、お前のことが大好きだ』と言ってくれて。涙が出ましたね。しかし、次の瞬間『ところで、何人連れて行くんだ?』と(笑)。『自分を含めて4名でございます!』と答えると、またビンタ( 笑)。そして『ブラボー!』。『皆をちゃんと幸せにしてやれ、応援するから』と言われて、やはりこの人は、料理人なんだなと思いました」

ロブションの訃報が伝わったのは2018年8月6日。その前から、偶然にも渡辺氏は、今年の盆休みは夫婦で久しぶりにフランスに行く予定を立てていた。

「シャンゼリゼのラトリエにも予約を入れていたんです。それがムッシュの葬儀の前日で……」

ロブションの故郷であるポワティエにて行われた葬儀に参列した渡辺氏。

「最後のお別れをする旅行になるなんて。不思議に思うと同時に、運命的なものも感じています」

2016年7月に浅草駒形の地にて「ナベノ-イズム」をオープンした渡辺氏。「ムッシュは51歳で料理人を引退しましたが、私は50代で自分の料理を追求します」と笑う。料理では、浅草の地に色濃く残る江戸東京の食文化を反映。と同時に、フランス料理の根幹もはずさない。

「『日本』『浅草』という地域性は感じられるべきですが、私の根幹は一つ。フランスという国にすべて教えてもらったので、これから歩むのは自分の道でありながらも、フランスへの、そしてムッシュへの恩返しを続ける道でもあると思っています」

誰よりもフランス料理界の巨匠から薫陶を受けた渡辺雄一郎氏が目指すのは、氏にしかできない、日本人の心とフランス料理の本当の意味での融合だ。

※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています