イル プレージョ 岩坪 滋
自分がおいしいと思う料理を素直に作る
放たれて生まれた独自性
レストランの多い代々木上原にて、9年間にわたり安定した人気を獲得している「イル プレージョ」。そこのオーナーシェフを務める岩坪滋氏の料理は、いつも自然体だ。いかにも力を入れたという雰囲気が皆無である。オープンから9年間という時間が、肩ひじ張らない料理を作ることを可能にした、と岩坪氏は話す。
「最初の頃は“イタリア料理”というカテゴリーを強く意識していました。あと、テクニックを見せようとしすぎていた面もありますね」と笑う。
「今は自分がおいしいと思う料理を素直に作るようになりました」
全国の郷土料理を知りたい―その思いで過ごした修業時代
「最初は、トラットリアスタイルのマンジャペッシェに配属。当時としては珍しく、国産の素材もイタリアの素材もとにかくたくさん集まってくるので、その充実具合にびっくりしました。そしてそれらを、イタリア料理の核があり、かつシンプルに生かすというスタイルに感銘を受けました」
また、グループにはイタリア修業を経た料理人が多くいたので、「自分も必ず現地に行こう」と思うようになった。
その後、岩坪氏は渡伊し3年間にわたり修業する。その際は「イタリアの北部、中部、南部、サルディーニャ、シチリアという、それぞれに異なる五つの食文化を持つエリアを回ると決めていました」という。
「とにかく、全国の郷土料理を知りたいという強い思いがあったのです」
「カシーナ・カナミッラ」での経験が料理人としての大きな成長に
帰国後、2店のイタリア料理店のシェフを務めたのち独立。特に2店目「カシーナ・カナミッラ」での経験が料理人としての自分の成長に大きく影響したという。
「まず、この店の当時のオーナーだった長本(和子)さん(イタリア食文化を日本に紹介し続けてきた、このジャンルの第一人者)から、郷土料理の知識や歴史を改めて、多く教えていただきました」
また、カシーナ・カナミッラでは、岩坪氏と小西達也氏(現・松江市「オマッジオ ダ コニシ」オーナーシェフ」)とダブルシェフの体制をとっていた。
「小西さんはフランス料理や、当時最先端だったスペイン・エルブリの科学的な料理の経験があった。私はずっとイタリア料理を作ってきたので、二人で技術を教えあったり刺激を与えあったりしました」
こうした経験の上で岩坪氏は2012年に「イル・プレージョ」をオープン。冒頭で書いた変化を経て現在に至るのだ。
イタリア料理の他に、“自分の料理”というカテゴリー
「イタリア料理の他に、“自分の料理”というカテゴリーもある。最近はそれを自然に作れるようになりました。自分の内側からフッと生まれる料理が増えましたね」
軸がしっかりしているので、説得力がある。かつ、時季の素材に向き合い、その美点を柔軟に引き出す。これからますます進化するであろう彼の料理から、目が離せない。
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イル プレージョのテーブルの上でお客を迎えるのは、花ではなく3色のミニトマト。丸いガラス器に入るトマトは愛らしく、気持ちをほぐしてくれる。
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イル プレージョの各テーブルの上に位置するランプのシェードの中には、乾燥のショートパスタが入る。照明をつけると、パスタが温かい光を抱き込んで美しく光る。イタリア料理店ならではの演出。
Photo Masahiro Goda
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています