長谷川 在佑 Zaiyu Hasegawa

日本料理を楽しく、自由に

2008年1月、長谷川在佑氏は神保町に日本料理店「傳」をオープンした。じきに、ジャンルを超えた自由な発想の料理、明るく細やかなサービスで注目を集め、海外からも注目されるように。2016年の神宮前への移転後は、さらにパワーアップ。世界を飛び回り、楽しみながら料理に向き合う。

おいしく、記憶に残る料理を

伝統的な日本料理を大胆にアレンジし、時にはユーモアを織り込んだ品々は、ストレートなおいしさとインパクトを備えている。サービスはあくまでもフレンドリーで明るい。店の雰囲気はナチュラルで活気にあふれる。―長谷川在佑氏と氏のチームが作り出す「傳」は今、世界中から強い支持を集める日本料理店だ。海外のトップシェフたちも数多く訪れ、コラボレーションの誘いも絶えない。

「日本料理には崩してはいけないルールがある」と考える料理人は多い。お客にも、「日本料理はおとなしい」「静かで、しみじみとした味わい」と思われがちだ。しかし、「本当はもっと自由でいいはず。とにかく、お客様に喜んでもらいたい」と、長谷川氏は考える。その結果生まれるのが、「フォアグラ最中」や「畑のようす」、飯蒸しなどの詰め物をした“日本料理の手羽餃ギョーザ子”「傳タッキー」など、楽しく、おいしく、記憶に残る料理の数々なのである。

「自分の表現とか、世界観はないんです」と笑い、徹底して“自分よりお客”を貫く長谷川氏。オープンから11年が経ち、今では“アジアのベストレストラン”でトップ3の常連、“世界のベストレストラン”で11位……という具合に高い評価を獲得しても、その姿勢は変わらない。

「最初から、店にお客様が来てくださったわけではない。ゼロからのスタートで、とにかく全力を尽くして喜んでいただき、また来ていただくしかない。その時の気持ちは、この先も忘れないでしょう」と話す。
「傳」長谷川在佑氏

「海外からシェフが来たら、そのシェフの店に行きたいと思うでしょう?」と、好奇心のままにスタッフとともに世界各国を訪れ、さまざまな味の体験を重ねる。そして「自分は日本料理を修業してきた。その技術を用い、自分のできることで人を幸せにしたい」と、自然体で料理に取り組む。

チームとともに料理を作ることが楽しくてしょうがない、そんな長谷川氏の気持ちが伝わる「傳」での食事は、人を自然に笑顔にする。

人情の街、大人の街。神楽坂育ち

神楽坂で育ち、芸者だった母が持ち帰ってくれる料亭のお弁当や料理を楽しみに食べるような子供だったという長谷川氏。この環境は、日本料理人としての味のベースを形作るのに役立ったかもしれないと話す。

「ただ、それ以上に、人情が残る街で育ったことにありがたみを感じています。子供の頃から街の人たちに『おい、坊主!』なんて声をかけてもらえるような、人と人の関係が濃い中で過ごした。そのことが、今の自分につながっている。料理店は、突き詰めれば、人と人のコミュニケーションの仕事ですから」

高校を卒業したのち、神楽坂の老舗料亭「うを徳」で5年間修業。昔ながらの厳しい修業だったが、女将さんや大将、お客が皆、粋。そんな“大人のかっこよさ”に憧れたそう。その後いくつかの店で働いたのち、修業の仕上げとして、神楽坂にある母の小料理屋で1年間務める。カウンターの中で料理を作るのだが、お客は長谷川氏が追い回しだった頃から知っている旦那衆や鳶の親方といった面々だった。

「最初は『おまえの作ったもんなんか食べれないよ!』というところからスタート(笑)。そこからなんとか食べてもらおうと工夫して、努力する。大変でしたが、料理人として成長できた、得難い経験でした」

土鍋ご飯はインパクトが大事!

必ず、締めに土鍋の炊き込みご飯を提供している「傳」。具はカラフルな根菜や牛肉など、蓋を開けると「わぁ!」とテンションの上がる内容だ。

「外国からのお客様も多いので、わかりやすさを重視します。彼らにとって、白いご飯の魅力を理解するのは、やはり難易度が高いはず。誰もが、心から楽しめる料理を心がけています」

「傳」の土鍋

写真の土鍋は、鎌倉で活動する長谷川氏の友人で同世代の陶芸家、西村百合さんの作品。

「ぬくもりとしゃれっ気のある雰囲気が気に入っています。他の器も、自分と世代の近い作家の方々の品を使うことが多いです。応援したいという気持ちもありますが、ものづくりに向き合う姿勢に素直に共感できるのは、私にとってはやはり同世代の仲間なのです」

Photo Haruko Amagata
※『Nile’s NILE』に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています