世界一の牛をつくる―尾崎牛

宮崎の和牛の個人ブランドとして全国的に有名な尾崎牛。尾崎宗春さんが育てた尾崎牛の味わいにほれ込む料理人も多い。最近では日本にとどまらず、世界中がこの脂がきれいで柔らかで旨みがある尾崎牛に注目しているという。

他とは一線を画す極上の牛肉・尾崎牛

宮崎市郊外の大瀬町に位置する、5ヘクタールの尾崎牧場。年間を通して温暖で雨が多く、牧草を育てるには最高の環境だという。水は近くの小川から自家製ポンプで新鮮な湧き水をくみ上げ、牛の飲み水にしている。カルキ臭のある水道水では、牛が十分に水を飲んでくれないそうだ。そのために、おいしい水に恵まれた地を探して、3度の移転を経てたどり着いたのがこの場所だ。

飼育されているのは、宮崎育ちの牛の中でも、高い評価を得ることで知られる尾崎牛1200頭。尾崎牛とは、尾崎宗春さんが育てた個人によるブランド牛で、JAを通さず、牧場から日本全国、さらに世界中に生産者直販で届けている。「脂の味が肉の味」と尾崎さんが語る尾崎牛の特徴は、肉の旨みは濃厚だが脂がくどくなく、あっさりしていること。しゃぶしゃぶをしてもアクが出ない、明らかに他とは一線を画す極上の牛肉だ。

尾崎牛の牛舎
宮崎らしい、ヤシの木のある牧場の牛舎で、牛たちが穏やかな表情をしている。鳴くこともほとんどないのは、ストレスがかかっていない証拠だという。肉質が柔らかくなるメス牛を丁寧に30カ月育てている。

世界一を目指して

宮崎で牛を育てる畜産農家に生まれた尾崎さんは、高校を卒業後、大阪に出たが、離れてみて初めて、宮崎で牛を育てたいという気持ちが固まったという。その理由は、「一番になりたかったから」。他でもない、何よりのごちそうである牛肉を宮崎で育て、そこで一番になることができれば、世界の一番になることも夢ではないと考えたのだ。

尾崎さんはそこで、大学に行く代わりに、自ら4年間のカリキュラムを考案した。まず、最初の1年間で地元の畜産試験場の研修生として畜産の基礎を学習し、次の1年は実家の牧場にて、畜産の現場を実地で学んだ。そして、残りの2年間は国の派遣プログラムに参加し、アメリカへ。1万7000頭の牛を飼育する牧場で、アメリカの飼育方法を徹底的に学んだ。この経験が、尾崎さんの目を開かせたといってもいい。

「当時、最先端といわれた技術を目の当たりにして、逆に自分は、規模よりも手間暇をかけて、家族や友人に食べさせる牛を育てようと思ったんです。それで帰国後、本当に健康な牛を育てるための餌の研究を始めました。最初はJAの基準に合わせて宮崎牛として出荷しながら、自分が納得のいく餌を探したんです。結果、抗生物質や防腐剤、成長ホルモンを一切入れない、13種の飼料をブレンドした現在の餌にたどり着くまで、20年かかりました」

完成した餌で育てた自慢の黒毛和牛の肉を、13年前から尾崎牛としてブランド化した。実際に尾崎牛を食べて、感動してくれたレストランのオーナーシェフなど、信頼できるパートナーだけに直販している。

海外に販売するようになったのは、値段は高くても、尾崎牛の価値を理解してくれる料理人やパートナー、それを選ぶことのできる消費者が、世界に一握りしかいないからだ。現在、海外への販売は全体の3分の1程度で、欧米を中心に15カ国に直販。取引先は、尾崎さん自身が各国を訪れて見つけている。

「世界中を回って、自分の牛肉が世界で何番の位置にいるのか、シビアに探しています。今はまだ負けたことがないから、どんな有名店に行って話を持ちかけても、勝つことができるのです」

尾崎牛
東京・外苑前のリストランテ ホンダの本多哲也シェフも尾崎牛“愛用者”の一人。店ではもっぱらこの尾崎牛のランプを料理する。

おいしい牛肉を作る秘訣は「自分で育てた牛肉を食べる」こと

牧場で30カ月の肥育をする中で、餌は2段階に分けている。最初は、筋肉、内臓、骨をつくるための餌。最後の1年間は、脂肪をつけるための餌だ。そして、牛にストレスをかけない、規則正しい生活をさせ、よく寝かせること、毎日午前中に牛舎内の清掃をすることなど、おいしい牛肉をつくるための独自のポイントを守っている。この中で、実は非常に重要なのが、「自分で育てた牛肉を食べる」ということだ。

「自分の家族や友人に食べさせる牛肉をつくりたいという当初の思いは、今も変わっていません。だから、尾崎牛の一番出来のいいものは、自分の家で食べるんです。私は毎日、自分でつくった牛肉を食べて、家族の反応も見ています。だからこそ、仔牛を見ただけで、その牛が将来、どんな成牛になり、どんな味になるか見極めることができるのです」

以前は繁殖も手がけていたが、肉の質を安定させるために、今は競りで仔牛を買っている。血統が良くても兄弟で出来が違うということが頻繁にあるからだ。競りでは、自身の目で見て、確かな仔牛だけを、値段が高くても購入する。そうすることで、いつ食べても同じ味、質の牛肉をつくることができる。

尾崎さんにとってのブランドとは、個人の信頼そのものだ。

「お客様からの全てのクレームが、私のところにくるようになっています。たとえば、何々ホテルで食べた尾崎牛が硬かった、とクレームがくると、レストランの名前と、何月何日、何時ごろ食べたかを聞いて、そのホテルに連絡し、誰が料理していたのかを突き止めます。シフト表を見せてもらうと、料理長と2番手が休みで、3番手の料理人が肉を切って焼いた。その時、肉を逆目に切ってしまい、肉が硬くなったとわかったら、それを顧客にフィードバックします。労力もかかりますが、ここまですることで成長できた部分も大きいと思っています」 

確かな信頼を築いたパートナーとは、当然、長い付き合いになり、その弟子が店を開くときには、ぜひ使わせてほしいと頼まれる。こうして、尾崎牛は宮崎発の世界に誇るブランドとなった。

「尾崎牛は私の牛だから、今の牧場長にも『私がやめたら尾崎牛もやめろ』と言っています。自分の名前でやればいい、と。今はまだ月に2、3回は海外に行っていますが、60歳を超えたら、“牛飼い”に戻って、会社の人間が海外から連れてきたお客様を、この牧場で接待することにとどめたいと思っています。本当にいい和牛の脂は、健康食品のようなもの。それを、家族や大切な友人、理解してくださるお客様に体感してもらって、健康になってもらえれば本望。そして、最期は牛飼いとして終わりたいと思っています」

尾崎宗春さん
尾崎宗春さん。「最近は『霜降りはもう食べられない』という人もいますが、それは脂の質が悪いから。脂が良ければ、お年寄りでもいくらでも霜降りを食べられます。そして、脂の質を決めるのが餌です」と熱弁する。

「虎白」小泉瑚佑慈氏の尾崎牛の料理はこちら

「リストランテ ホンダ」本多哲也氏の尾崎牛の料理はこちら

Photo Masahiro Goda、Satoru Seki Text Rie Nakajima

※『Nile’s NILE』2016年3月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています