神々の島 ― 壱岐
長崎県最大の広さを誇る平野
福岡県の博多港から西に67㎞、佐賀県の呼子港から北に26㎞の場所に位置する壱岐島。九州本土と朝鮮半島の間、玄界灘に浮かぶ島である。対馬とともに古代から“東アジア”の交流拠点として重要な役割を担ってきた。
よく方面的に「壱岐・対馬」と同じように扱われるが、地形で見ると、二つの島は大きく異なる。200m以上の山がそびえ立つ対馬島に対し、壱岐島は標高100m前後の小高い丘陵が広がっており、島全体の地形が緩やかである。こうした丘陵地が島80%以上を占め、最も高い岳の辻でも標高は213mだ。島の南東部を流れる全長9㎞の幡鉾川は内海湾に注ぎ、その途中、長崎県内でも最大級の広さを誇り、原の辻遺跡がある通称、深江田原が広がる。現在は米や麦を産する、県内有数の穀倉地帯となっている。あと、壱岐島は離島ながら、地下水が豊富で、昔から米作りが盛んだ。
草原の壱岐牛
岬の草原で潮風に吹かれながら、草を食べる牛の姿は、壱岐を代表する牧歌的な風景の一つだ。こうしたのどかな光景はもちろん、島をクルマで走っていると、壱岐牛(いきぎゅう)が牛舎の外で飼われているのを見かけた。山あいの牛舎でも牛が運動できるスペースを設け、“放牧”しているようだ。暖かい時期の晴れの日には牛たちは太陽の光をたっぷり浴びて、気持ちよさそうに日光浴をしている。実にのびのびとした健康そうな牛たちである。
壱岐の牛は、昔から健康で力持ちの牛として歴史に名が刻まれている。「駿牛絵詞(すんぎゅうえことば」(1187年ごろ)や「国牛十図」(1310年)には都の牛車を引く駿牛として、筑紫牛(壱岐が主な産地)に優るものはなしと記される。そして、役牛としての用途が広がると、その駿牛を求めて、壱岐には子牛の市が立つようになる。今でも、2カ月に1度の子牛のセリには約700頭が出荷される。全国からこの質の高い子牛を求めて買い付けにやって来る。古くから子牛の繁殖が盛んな壱岐で、肥育農家が増えたのは、ここ20年くらいのことだという。

そこで壱岐牛の肥育に20年ほど前から取り組んでいる郷ノ浦町の山本満年さんを訪ねた。
「最初は繁殖・肥育一貫で20頭くらいの牛を兼業で育てていました。肥育には20カ月程度かかるので、この頭数だと『あれ、あれ、なかなか出荷できないなあ(笑)』と、当時、島には肥育農家がほとんどなくて、効率よく育てて出荷するノウハウがなかったんですね。だからウチと他の生産者さんと4軒で1995(平成7)年ごろに壱州枝肉研究会を立ち上げて、地元の牛を肥育して結果を見てと、いろいろ勉強しました。そして2005(平成17)年にこの牛舎を建てて、肥育の“専業”になったのです。今では繁殖用の親牛20頭を含めて、140頭を肥育していて、月に7頭くらい出荷しています」
山本さんは奥さんと二人三脚で、ここまで頭数を増やしてきた。肥育の秘訣を聞くと「できるだけストレスを与えないように、牛たちの力関係に目配りしながら、清潔な牛舎で愛情たっぷりに育てること」だと教えてくれた。

「あと、島では海から潮風が吹くので、それを浴びてミネラル分を体から吸収できるのもいいと思うし、同じ環境で育った干し草を食べて塩分やミネラルを得ているのも、壱岐牛が旨い理由だと思います。それに“一支國”をよく食べるんですよ。壱岐牛のために独自配合されている飼料だから、いい肉になりやすいみたいです。それと島の豊富な地下水をたっぷり飲ませてます。出荷する時は、820㎏くらいになるかな。来年に県の農業大学校で畜産を勉強している娘が帰って来ます。それが楽しみです。今は子牛をほとんど買って育てているけど、娘が帰って来たら新しく牛舎を建てて、繁殖に力を入れていくつもり。今の頭数の半分くらいは繁殖・肥育一貫にするのが夢ですね!」
今ではブランド牛として、その名が知られている壱岐牛だが、さらに島独自の肥育が確立され、進化していくのだろう。優しく真摯に“牛飼い”をしている山本さん夫妻に出会い、そう、確信した。
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八幡(やわた)半島のなだらかな草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1㎞にも及ぶダイナミックな海蝕崖(かいしょくがい)、左京鼻に行き着く。この辺りで牛の放牧が見られる。
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島の東側、芦辺町の八幡浦に立つ六体の地蔵は、腹の部分が丸くえぐられていることから「はらほげ地蔵」と呼ばれている。大潮の満潮時には胴体まで海水に漬かる珍しい光景を見られる。
壱岐島は、海の幸もふんだんにある食材の宝庫
玄界灘に浮かぶ壱岐島は、海の幸も山の幸もふんだんにある食材の宝庫だ。その壱岐島の海の幸、魚の実力を知るために、郷ノ浦港を訪ねた。島内きっての魚種を誇るという郷ノ浦町漁協のセリには、どんな魚が並ぶのか。

朝、6時―毎日この時間になると大きな笛の合図とともに郷ノ浦町漁協ではセリが始まる。この時期に揚がる魚はブリが多い。とはいえ、カマスやイサキ、アジ、マグロ、ヒラメ、ヨコワ(クロマグロの幼魚)、サワラ、オコゼ、タイ、イカ、伊勢海老、さらにサザエやカキ、アオサ、ワカメ、ナマコなどなど、さまざまな魚介がセリにかけられていく。
郷ノ浦のセリ人は、粋がいい。特に旬のブリを競る時は、まずブリの重さ、その次に価格を伝える。値を上げていく時のセリ人の「アイッ」という掛け声が小気味いい。ここではセリ人が決めた値に対して、仲買人も数字を言う方式。仲買人は島の各地域からやって来て、おのおの狙ったものをセリ落としていく。
そうしているうちに、底引き網の漁船が戻ってくると教えてくれた。6時からのセリに参加した仲買人も、半数くらいはセリ場に残り、獲ったばかりの魚を載せた船の帰港を待つ。そもそも壱岐近海は、大陸棚が広がり、対馬海流が流れているため、世界有数の漁場として知られている。


郷ノ浦町漁協の漁船は、底引き網、刺し網、釣り、はえ縄、タコツボと漁法は実にさまざま。だからこそ魚種が豊富なのだが、天然の瀬である七里ヶ曽根が近いというのも大きなメリットだ。しかも七里ヶ曽根の辺りは、黒潮の通り道。つまり、南西からの暖かい黒潮と豊富なプランクトンが、七里ヶ曽根の巨大な瀬にぶつかることで、大型魚のエサとなる小魚を集め、回遊してきたマグロやブリ、クエといった大物がしばし腹ごしらえをする。だからこの時期、“大物”が獲れるのだ。




