神々の島 ― 壱岐

おばちゃんの笑顔がまぶしい勝本浦の朝市

勝本のおばちゃんたちの元気な声とともに、やさしい笑顔が目に飛び込んでくる。こちらに向けられるくったくのない笑顔は、商品を買ってほしいからではないことがすぐにわかる。旅行者の心を一瞬にしてわしづかみにする笑顔のおばちゃんが、すすめてくれたものを、気づけばあれもこれもと買っていた。

長崎県壱岐島 勝本の朝市
朝市の店が立ち並ぶ商店街に足を踏み入れると、はじける笑顔がこちらに向けられる。小魚や干物、つくだ煮が所狭しと並べられている。おばちゃんが「おいしいよ、味見してって」とほほえむ。
長崎県壱岐島 勝本の朝市
海産物だけでなく、野菜や果物の店もある。元気なおばちゃんたちは、決して客の取り合いなどはしない。お互いテリトリーを守りながら、自家製の商品を気持ちよく販売している。

勝本の朝市は、江戸時代から続くもので、勝本浦に住む漁民とその近郊の農村に住む農民との物々交換によって始まったとされている。今も毎朝(7時~11時)、勝本浦の商店街の店先には近所の女性による市が立ち、採れたての農産物、小魚や干物などの海産物を売っている。鮮度のよさと値段の安さに定評があり、地元の人のみならず、観光客にも長年愛されている。聞けば、市場に立てるのは女性のみという決まりがあるそうだ。おばちゃんたちが手作りしたイカの塩辛などの総菜はいろいろと試食させてくれるうえ、多めに買うと気持ちよく代金を値引きしてくれる。そんなやさしい笑顔の、心の広いおばちゃんたちがいる勝本浦の朝市へ、足を運んでみてほしい。

  • 勝本の商店街|長崎県壱岐島
    勝本の商店街には、シーズン中なら朝市の店が奥まで並ぶという。この商店街には、木造3
    階建てのつたや旅館跡の原田酒造や、鯨組頭の屋敷跡、意匠を凝らした町屋建築の旧松本薬局などの歴史的建造物もある。
  • 勝本浦の朝市|長崎県壱岐島
    勝本浦の朝市は、江戸時代の漁民と農民の物々交換に端を発するといわれている伝統的なもの。最盛期は50軒くらいの市が立ったという。そして店に立つのは、決まっておばちゃん。男子禁制だとか。

鯨漁に沸く勝本浦

ここ勝本浦は、江戸時代ごろから鯨漁を主体として栄えてきた古くからの漁村だ。壱岐島の近海には、年に2度、鯨が回遊してきた。初冬にオホーツク海から日本海を通って南下する「下り鯨」と、早春に北上する「上り鯨」がやって来る勝本浦は、格好の漁場だった。遠くは和歌山県の太地(たいじ)から、鯨組が漁に来ていたのである。鯨組とは、大きな鯨を捕るには多くの人手が必要だったため、網元となる人が1000人近くを雇っていた組織のこと。勝本には、土肥(どい)組、永取組という大きな鯨組があった。特に土肥組の4代目、土肥市兵衛は、勝本以外にも対馬、唐津と基地を広げ、1年間の捕獲頭数は200頭を超えて“鯨王”と呼ばれた。この頃、「鴻池」「三井」とともに土肥は、日本の三大富豪といわれるまでになっていた。

勝本浦|長崎県壱岐島
「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選ばれた勝本浦。西日本一のイカの水揚げ量を誇る港は、古き良き日本を感じさせる。港には約300の漁船が係留されており、今年、勝本港ではクエがたくさん獲れたという。

また、「浜の真砂はつきても、土肥の金はつきない」といわれるほど、財を成した市兵衛は、鯨を捕る刃刺(はざし)などを接待するために3年もの歳月をかけて大豪邸を建てた。この建物の中には、京都、大阪から連れて来た遊女を大勢囲っていて、刃刺らと毎晩ドンチャン騒ぎをした。その接待の様子を外から見えないように高さ7m、長さ90mもある大きな塀で屋敷を囲んだのだという。現在は、この大きな塀だけが残っており、往時の繁栄ぶりを今に伝えている。

勝本浦がおおいに鯨に沸いた後も、魚種は変われど、旨い魚が獲れることは変わることなく、漁師町としてにぎわっている。そのピークは昭和50年前後で港には500以上の漁船がひしめきあっていたという。現在は、300隻程度だが、西日本一のイカの水揚げ量を誇る。冬には、高級魚のクエや青森の大間に負けないくらいの大きなマグロが揚がるし、もちろん朝市も健在だ。古き良き漁師町といった独特の風情が今も勝本にはある。

豊臣秀吉が出城を築く

豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて、佐賀県唐津の名護屋に拠点となる城を構えるのと同時に、朝鮮半島に渡る海上の中継地となる壱岐と対馬にも、それぞれ出城を築いた。1591(天正19)年に秀吉が壱岐を治めていた平戸藩主の松浦鎮信(まつうらしげのぶ)に命じて、勝本の海抜78.9mの山頂部に築城。たった4カ月で城を完成させたと伝わる。城番として、秀吉の弟、秀長の家臣である本多俊政が兵500人とともに駐屯し、朝鮮出兵が終わる1598年までその責務を果たした。現在は、一の門と二の門の間にあった枡形(ますがた)と、その左右の石垣が残るのみだが、4カ月で築いたとは思えないほど立派なものだ。

周辺は城山公園として整備され、蕉門十哲の一人、河合曽良(かわいそら)の句碑や墓が立ち、城跡からは勝本港や辰の島まで一望することができる。

勝本城跡|長崎県壱岐島
1591(天正19)年に豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に命じて築城させた勝本城。現在、城跡の一部が公園になっており、わずかに残った大手門の石垣が往時をしのばせる。1592(天正20)年に稲荷神社も祀られたという。

壱岐を味わい尽くす宿

壱岐で唯一の湯元、湯ノ本温泉を堪能できる宿が海里村上だ。塩分と鉄分が豊富で、空気に触れると赤褐色に変化する源泉掛け流しの湯に、島々を赤く染める夕日を眺めながらゆっくりと漬かるひと時は格別。まさに、壱岐ならではの自然の恩恵を全身で享受することができる。

海里村上|長崎県壱岐島
海を眺めながら、ウッドデッキでゆったりとリゾートならではの優雅な時間を楽しめる。晴れた日にはチェアが出ているので、ここでシャンパンを飲むのも癒やしのひと時。
湯ノ本温泉|長崎県壱岐島
かつて神功皇后が三韓出兵の帰りに立ち寄り、発見したと伝えられる湯ノ本温泉。神功皇后が応神天皇の産湯として使わせたという伝説から、子宝の湯としても知られている。

湯上がりの楽しみは、壱岐の海で獲れた新鮮な魚介を始め地元の食材を丁寧に調理した料理の数々。自慢のアワビは、火を通すことで柔らかさが出るアワビのしゃぶしゃぶ「海里鍋」、アワビにウニをたっぷりのせて炭火であぶる「海里焼」、そして「焼きアワビのアンチョビソース」と、好みに応じて3種の料理で味わい尽くす。海里村上では通年供されるメイン食材だが、冬の間に育った海藻をしっかりと食べて成長した、これからの季節がアワビの最もおいしい時期といえる。

海里村上のコースのメイン料理|長崎県壱岐島
コースのメイン料理は、アワビの網焼きとしゃぶしゃぶ。焼き、しゃぶしゃぶ、造りと、アワビのいろいろな食感を楽しめると開業以来の人気メニューだ。

造りは、コリコリとした食感を楽しむアワビを始め、オコゼやマダコなど、その時一番旬のものを。イカの塩辛やナマコ酢、温泉玉子の黄身を壱岐の麦味噌に漬けた玉子味噌漬けなど、地元の珍味を盛り合わせた前菜も面白い。ガゼ味噌はガゼウニと味噌を混ぜ合わせた郷土料理で、ガゼウニとは地元で獲れる小ぶりのバフンウニのこと。壱岐では家庭でも酒のさかなやごはんのともとして日常的に作られる定番の味だ。

海里村上の地元の珍味を盛り合わせた前菜|長崎県壱岐島
地元の珍味を盛り合わせた前菜。左から、イカの塩辛、ナマコ酢、ガゼ味噌、トマトの蜜漬け、玉子味噌漬け。昔から親しまれてきた郷土の味を楽しみたい。
海里村上の旬のお造り|長崎県壱岐島
アワビ、マダコ、オコゼの造り。海の北側ではイカ、ブリ、マグロ、南ではオコゼ、 東でサワラなど、多彩な海の幸に恵まれた壱岐の味をストレートに味わえる。

客室はすべてオーシャンビュー。拭き込まれた窓から、地元の景観を満喫できる。壱岐の魅力を隅々まで堪能する、心尽くしの宿である。

海里村上
長崎県壱岐市勝本町立石西触119-2
TEL0920-43-0770
https://www.kairi-iki.com/

Photo Chiyoshi Sugawara Text Nile’s NILE、Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』2018年4月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

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