豊後水道の恵み-一本釣りにこだわる漁師たち-

大分と愛媛の間にある豊後水道は、太平洋と瀬戸内海をつなぐ「水の道」。神話時代にさかのぼれば、日向の高千穂を出た神武天皇は、豊後水道を北上し、西に東に潮流に乗りながら大和に向かったと伝えられる。古来、豊後水道は人と文化が行き交う都との通い路でもあったのだ。その豊後水道の沿岸は、古くは「海部郡(あまのこおり)」と呼ばれた。『豊後風土記』によれば、この郡の民たちは皆、海辺の白水郎――海人だったという。その白水郎の歌が『万葉集』に収められている。

紅に 染めてし衣 雨降りて にほひはすとも 移ろはめやも

豊後の国の若き漁師に焦がれる乙女の恋歌に誘われるように、海部郡の旅に出た。訪ねた先は、関あじ・関さばの佐賀関漁港と、くにさき銀たち・姫だこの国東漁港。豊の国・大分には、豊後水道の恵みを受けた多様な豊かさがある。

関あじ関さば 佐賀関漁港

佐賀関漁港
大分県漁業協同組合佐賀関支店には、約650人もの漁師たちが所属している。もちろん漁は一本釣り。早朝、漁師が自分の漁場へ向かう風景は、都会の通勤ラッシュよりも活気を感じさせる。

魚の商標登録第1号、関あじ・関さば。その名が全国区で知られるようになって、早二十年の時が流れた。「不動の高級魚」となるに至った裏には、どんな秘密があるのか。一つは、極上のうまさをつくり出す豊予海峡という豊饒の海。もう一つは、一本釣りにこだわる漁師たちと、彼らを支える大分県漁業協同組合佐賀関支店の品質への希求である。

漁協職員
沖合のいけすで漁師たちを待 ち受ける「買い子」の漁協職員。魚はここで値が決まり、一日を自由に泳いで暮らす。

関あじ・関さばのすむ豊予海峡は、瀬戸内海の北から周防灘、東から伊予灘、太平洋の南から豊後水道の水塊がぶつかる海流の速い水域だ。「速吸(はやすい)の瀬戸」の異名を取るゆえんである。その激流にもまれて育つ魚は、運動量が多い分、身が厚く、引き締まっており、昔から「関物」と呼ばれ、珍重されてきた。

加えて、黒潮。分流が豊後水道に流れ込み、年間を通して水温変化が小さく、プランクトンが大量発生する。つまり、魚たちはたっぷり食べて、激しく運動し、程良く太る。関あじ・関さばは、だから一般的なアジ・サバよりも格段にうまいのだ。

  • いけすに移される魚
    漁を終えて帰航する途上、釣った魚はすぐさま沖合の広いいけすに移される。1~2匹ずつ大事に網ですくう。
  • 関あじ関さばの商標
    県漁協佐賀関支店の取り扱う関あじ・関さばには、品質管理を保証する商標登録マークやブランド名のシールを貼付し、出荷される。

「大学の先生が試験をしたら、関さばは脂が程々で、鮮度が長持ちすることがわかったようや。取ってから食卓に載るのは三日後くらいで、その頃にちょうど脂に甘みが出て、最高にうまくなるんやな」

県漁協佐賀関支店の大本好孝運営委員長は顔をほころばす。

大分県漁業協同組合佐賀関支店 大本好孝運営委員長
大分県漁業協同組合佐賀関支店 大本好孝運営委員長。県内の水産物を集めて販売する「大分県水産振興祭」。その会場で出会ったのが大本委員長だ。右手にブリ、左手に関さば。

一本釣りは「取り尽くさない漁業」

漁師歴47年、大本委員長の分厚い左手には硬いタコがある。「アジ・サバを釣る漁師は皆、こんな手をしとるでな」と事もなげに言うが、この言葉にこそ、佐賀関の漁師たちのこだわりと誇りが凝縮されている。手のタコはある意味で、魚のうまさをベストな形で引き出す「一本釣り」の成果とも言うべきものなのである。

それにしてもなぜ、一本釣りにこだわるのか。一つは、自然保護の観点から「取り尽くさない漁業」を志しているからだ。網でごそっと根こそぎすくっていくような漁獲方法を取ると、どうしたって乱獲となり、魚が減る。それでは漁業の未来を暗転させるようなものである。

昔は「網が急流に耐えられない」という事情もあって一本釣りに頼るしかなかったそうだが、技術の進化に伴い網が使えるようになった今も、佐賀関は安易に網に走らず、「海の環境を守るためにも一本釣りにこだわるべきだ」と腹を決めている。漁師たちは今日も、豊予海峡の急流に漕ぎ出し、起伏に富んだ海底に点在する瀬――岩礁地帯に集まるアジ・サバを求めて糸を手繰る。

佐賀関漁港
佐賀関漁港。600余りの一本釣りの船が早朝6時頃、沖合に漕ぎ出していく。佐賀関と四国の愛媛県・佐田岬とは直線距離で約14㎞。この間に激流の豊予海峡が横たわる。

釣った魚にストレスを与えない

一本釣りにこだわる理由は、もう一つある。それは、何よりもうまさという品質を大事にする気持ちだ。網で取ると、網揚げするときに魚はどうしても暴れる。魚同士がぶつかった衝撃により、さばく時には身が割れやすくなるという。

一方、一本釣りは、糸に疑似餌の針を10ほどつけたサビキ仕掛け。しかも佐賀関では、釣った魚をいったん、沖合に浮かぶ広いいけすに放つ。ストレスを極力少なくしてやるためだ。その現場を見ようと、漁から帰る姫野英昭さんを沖合のいけすで待ち受けることにした。時刻はすでに夕方5時を回っている。姫野さんは午前中、サバ3匹と振るわず、二度目の漁に出ていたのだ。

  • 漁師の姫野さん
    この日の姫野さんは、朝だけでなく、引き潮により流れがいっそう速くなる昼間にも出漁。帰港は日が落ちた6時頃になった。
  • 一本釣り
    一本釣りは、この長くて頑丈なテグスに疑似餌をつけて漁をする。疑似餌を手作りする漁師と、購買部で既製のものを買う漁師といるそうだ。

6時少し前に彼の船が着くと、すぐに「面買い(つらがい)」が始まった。これは、魚をはかりに掛けずに、大きさから重さを目測し、買値を決める方法。計量時に魚が暴れて質が落ちるのを防ぐことができる。作業に当たるのは、「買い子」と呼ばれる漁協の職員。船に乗り込み、魚を網ですくっては、種別・大きさ別に区分けした、いけすへ勢いよく放り込み、伝票に重さと値を書き込む。

姫野さんのこの日の成果は、サバが大・中計15匹、アジが7匹。「ボチボチや」と笑う彼は、叔父さんの船を譲り受けて25歳で漁師になった。「覚えるまでに5~10年掛かったね。船を操りながら、ここぞと思う瀬にピンポイントで糸を入れる。宝くじみたいなもん。難しいけど、面白い」とカラリと言った。

買い子
買い子には熟練が必要。アジ・サバ以外は、買い子から漁師に「1.3kgでいい?」 などと魚の重さを数値で確認する。漁師と買い子は信頼関係で結ばれているが、こういった日々のやり取りでお互いの感覚をすり合わせているのだ。

関ブランドの万全の品質管理

関ブランドの品質管理は、その先が徹底している。釣られた直後は興奮している魚も、いけすでゆったり。落ち着いて一日を過ごした後、浜の出荷場に送られる。ここで「活けじめ」。暴れると筋肉に隙間が出来、身割れが起きるので、頭をたたいて気絶させ、瞬時に脊髄を切断し、血抜きをする。

ここまではまぁ普通だが、血抜き用のバケツに、滅菌海水シャーベット氷というものを入れるのだ。これが魚に満遍なく密着すると、急速冷却ができる。保冷効果も高い。海水だから、魚の色も変わらない。品質を劣化させることなく、箱詰め作業に移れる訳だ。もちろん、輸送も万全。箱の中は5度Cというベストの状態を保ち、遠隔地まで届けられる。

私たちが関あじ・関さばをうまい刺身として食べられるのは、こうした佐賀関の漁協の品質にこだわる熱意と工夫あってこそのこと。ブランドはダテではないのである。

“関あじ・関さば”ブランド誕生秘話

「私たちはブランド戦略を考えたわけではないんです」――総務課長・藤本久士さんの口から意外な言葉が飛び出した。どういうことだろう。「当初の目標は漁師の所得向上でした。二十数年前、特にサバは四社の仲買から安く買いたたかれ、漁師たちが悲鳴を上げていました。ひどい時は“1㎏もの”が浜値で100円。でも、よそのサバとは違うと自負していたので、何とかしなければと漁協が入って、適正価格で買い取るようにしました。ただ、大分では仲買が強く、太刀打ちできない。それで、うちは県外だと、福岡や東京をターゲットに、試食キャンペーンを展開しました。1989年のことです」

その時の障害は、サバは鮮度落ちが早く、地元では“当たり前の刺身”に対する抵抗感が強かったこと。それでも一口食べれば、程良い脂の乗り具合と、コリコリとした新鮮な歯応えに、誰もが目を丸くする。たちまちにして、名声を高めた。四年目でもう「偽物」が出回るようになったという。そこで漁協は、漁獲から出荷に至るまでの独自の仕組みを構築し、品質管理の裏付けとして、92年に関あじ・関さばの商標登録を申請、九六年に認可された。こういった取り組みが、周囲から「ブランド戦略」として注目を集めた訳だ。

関さばはかつての10倍、キロ100円以上の値がつくようになり、当初の目的は達成した。ただ、近年になって別の問題が浮上している。

「ここ10年、関さばの漁獲高が減っています。最盛期の六分の一くらい。漁師の所得も減り、後継者問題にもなっています。国の新規就業者支援事業に乗り、マッチングフェアで三名を採用するなど、苦労してますね」

輝かしいブランド・ヒストリーの影で、佐賀関は今、苦悩している。でも、藤本さんは言う。「これからも地道に一本釣りで取り尽くさない漁業を守り、名声を維持していきたい」と。“奇跡の青魚”を生み出し、広めた佐賀関漁港の挑戦は続く。

大分県漁協佐賀関支店
県漁協佐賀関支店には全国から多くの漁協関係者が視察にやって来る。情報は全てオープンにし、持てるノウハウを提供。 それにより向上した漁協も少なくない。
1 2