鮎たちの希有な楽園

琵琶湖の鮎は、コアユと呼ばれる。「小鮎」とも「湖鮎」とも書く。成長しても10cm程度、しかし身は太って脂が乗る。琵琶湖の鮎の面目躍如だ。高級魚としての川鮎とは違い、湖鮎は古くから地元の人々に愛されてきた。だからこそ、“庶民の味”として伝統の漁とともに生活の一部として受け継がれている。

“庶民の味”として受け継がれている琵琶湖の鮎

琵琶湖

日本最大の面積を誇る京阪神の水がめ、琵琶湖。古くは交通の要所としても栄えたこの湖は、400万年以上前から存在する古代湖の一つでもある。湖内には地球上でここにしか生息しない多くの固有種が息づき、湿地の生物多様性を守るラムサール条約にも登録されている。琵琶湖は太古の時代から独自の生態系を保ってきた、多様な命の箱舟なのだ。魚類ではビワマス、ホンモロコなどの固有種が知られているが、その貴重な生き物を、人々の生活を支える「資源」として積極的に活用しているのが琵琶湖漁業の特徴だ。そこには、古くから琵琶湖に寄り添って生き、繁栄してきた人々ならではの知恵が生かされてきた。

琵琶湖の鮎は分類学上、固有種とは認められていないが、全国各地で見られる一般的な鮎とは明らかに違う。まず、体の大きさが異なる。琵琶湖の鮎は成魚で10㎝程度と小ぶりで、うろこが細かい。「顔が短くて、かわいらしい顔をしているのも特徴です」と、滋賀県水産試験場の桑村邦彦参事は言う。

あゆ
琵琶湖随一の漁獲量を誇る堅田漁港では、禁漁となる8月21日から11月20日までを除き、さまざまな漁法で鮎を取る。湖鮎は、湖の中で保護色となる銀色をしている。

一般的な川の鮎「大鮎」は、11月から12月に川で生まれて暖かい海に下り、海中のプランクトンを食べて稚魚となり、春先に川に上って苔を食べて成熟し、卵を産んで一生を終える。一方で琵琶湖の鮎は、8月の下旬から9、10月ごろをピークに川で生まれ、海ではなく琵琶湖に流れついて湖のプランクトンを食べて育ち、稚魚となって川に上るものもいれば、湖にとどまるものもいる。川に上った個体は一般的な川の鮎のように大きくなるが、湖にとどまったものは小さいまま成熟して湖鮎となる。湖で育つと小さくなる理由は判明していないが、エサ不足が原因なら痩せているはず。だが、湖鮎は小さくても太っていて健康だ。苔ではなく一生、鮎にとっては離乳食のようなプランクトンを食べて大きくなるせいか、骨も柔らかで、川育ちのような独特の匂いもない。

川の鮎は十分な苔にありつくために、一尾ずつなわばりを持って生活する。だから友釣りができるわけだが、琵琶湖の鮎は一生を群れで暮らす。6月から7月にかけて水温が22度程度に上がると、普段は水深20~30mにすむ鮎の群れが、水面近くでグルグルと渦を成して暴れる「まき」という行動が見られる。そこを狙って、網で一気にすくい上げるのが琵琶湖特有の「沖すくい網漁」だ。早朝と夕方に起こる「まき」のタイミングに合わせ、湖に漁船を出しての漁となる。収穫は一度に5㎏の時もあれば、100㎏、時に300㎏に及ぶこともある。

かつて三島由紀夫も訪れた堅田漁港

琵琶湖で最も漁獲量が多いのは、湖南にある堅田漁港。かつて三島由紀夫も訪れ、小説『絹と明察』に描いた港だ。昔から鮎を始め琵琶湖の魚がよく取れた場所であり、周囲には今も、湖の幸を享受して建てられたのであろう、羽振りの良さそうな家々が並ぶ。琵琶湖では小魚が豊富に取れるため、「湖魚のなれずし」とともに「湖魚の佃煮 」が滋賀県の無形民俗文化財となっているが、中でも代表的なのが湖鮎の佃煮。町の総菜店の店先やスーパーには必ず並ぶ、地元の人々にとって一年を通して欠かせない味だ。6、7月の湖鮎漁の時期には、湖魚専門店で湖鮎の鮮魚も売られ、生きのいいのをさっと天ぷらにすると、ビールによく合う最高の肴になる。

もう一つ、一般的には知られていないが、地元ではポピュラーなのが「氷魚(ひうお)」と呼ばれる湖鮎の稚魚だ。氷魚は、目の細かい定置網を矢印のような形に仕掛けて追い込む「エリ漁」で取る。体が透明で細長く、骨と内臓が透けている氷魚を釜揚げにすると、鮎のほろ苦さがあって、ツウにはこたえられない味わいだ。 水揚げ

 稚魚の段階で取り、川に放すための「鮎苗」として出荷されることもある。「琵琶湖の鮎は、昔からなわばり競争に強いと言われているんですよ」と、我が子を誇るように桑村さんが話してくれた。「先ほどお話ししたように、琵琶湖の鮎も川で成長すると大きくなります。他で生まれた鮎と一緒に川に放すと、なわばり競争で琵琶湖の鮎がいつも勝つので、友釣りで釣れやすく、これまで各地の川で琵琶湖の鮎が放流されてきました。今では、その川で生まれた稚魚を放すようになったので昔ほどの需要はありませんが、それでもニーズは絶えません」。 ふね

地元の人々に幸を与えてきた別格の滋味

琵琶湖にいる間は、追星(おいぼし)と呼ばれる体の側面の斑点はわずかに白く見える程度だが、川に出てなわばり競争に勝ち、覇気に満ちた状態の鮎は、追星が鮮やかな黄色に色づく。さらに性成熟すると、オスは体が黒くなりオレンジ色のラインが目立つようになる。

「1年しか生きないのに、成長段階によって姿かたちがこれほど変わっていくのには、ようできたもんだなぁと思います。自然の造形美ですね。しかも、どの段階で食べてもおいしいのです」と、桑村さんと同じく滋賀県水産試験場の生物資源担当、田中秀具専門員は言う。 

沖すくい網漁やエリ漁のほか、琵琶湖では鮎の成長段階や場所によってさまざまな漁が伝えられている。「春先の川に上る鮎の行く手を遮る『ヤナ漁』や、沖合から岸近くに寄ってきたアユを竹の棒の先に付けたカラスの羽で網に追い込む『おいさで網漁』も行われています。これは鮎が黒い羽を怖がる性質を巧みに利用した漁法です。琵琶湖では縄文時代から漁をしていたことがわかっています。当時は、川に上がってきた鮎などを手づかみで取っていたのでしょうね」と桑村さん。
漁船

太古の昔から地元の人々を潤し、幸を与えてきた琵琶湖の鮎。滋賀県では、琵琶湖の鮎の産卵期に当たる8月21日から11月20日まで鮎漁を禁じ、水が少ない年にも鮎が安定して卵を産めるよう産卵場を整えるなどして、湖鮎を絶やさないように守ってきた。いつも身近にある庶民の味だったからこそ、漁から物流、保護まで、湖鮎漁にまつわる全ての段階で、漁師や行政を始め地元の人々が一体となって取り組んでいる。これこそが琵琶湖の鮎の特徴であり、格別の滋味の源なのだ。

  • よし
    琵琶湖の岸近くにはヨシが群生している。こうしたヨシの群落では、コイやブナなど多くの魚の卵が産み付けられる。
  • 階段
    琵琶湖から民家へとつながる細い階段。湖沿いに立つ家は、直接、琵琶湖へ出られるよう自宅の前に舟をとめている。
  • 店
    彦根市にある「あゆの店きむら」。琵琶湖の周辺には、こういった鮎などの湖魚の佃煮を売る店がある。
  • 佃煮
    きむらの店内には、鮎以外にも琵琶湖で取れたモロコ、シジミ、ゴリなどを佃煮にして販売。面白かったのは鮎の缶詰。