ロオジエ オリヴィエ・シェニョン シェニョンさんもうなった鳥取の食材

“和牛王国”復活! 鳥取県が“肉質日本一”に

鳥取県智頭町の畜産農家、岸本真広さん
2017年の9月に開催された第11回全国和牛能力共進会の第7区「肉牛の部」で1位を獲得した、智頭町の畜産農家、岸本真広さん。2代目である岸本さんが中心になって、両親も現役で一緒に働いている。

松葉がに漁のほかにもう一つ、鳥取県には江戸時代から盛んなものがある。それは和牛の育成だ。江戸中・後期から、優良形質の維持・改良が行われるようになり、当時の日本三大牛馬市の一つとして鳥取県西部の大山で大規模な牛馬市も開かれていた。特に優れた系統は「蔓牛(つるうし)」と呼ばれ、こうした市では高値で取引されたという。

そして1920(大正9)年には、全国でも初めて和牛の登録事業(和牛の戸籍管理)に着手。鳥取県の和牛は「因伯(いんぱく)牛」と呼ばれ、種牛として高く評価された。その後、九州や東北といった新しい産地に多くの種牛としてこの「因伯牛」を供給した。

日本では明治時代まで牛肉を食べる習慣がなかったが、昭和30年代以降、役用牛から肉用牛への需要が高まった。そんな中、1966(昭和41)年に第1回全国和牛能力共進会(和牛のオリンピック)が開催される。そこで鳥取県畜産試験場が所有する「気高(けたか)」号が1等賞を獲得。この「気高」号が全国の和牛改良の基礎となり、全国のブランド和牛の始祖牛となっているのだ。「気高」号以降も高いレベルの種雄牛を生み出し、2014年には「百合白清(ゆりしらきよ)2」が全国ナンバーワンの評価に、さらに「白鵬(はくほう)85の3」がその座を奪取。2015年には「百合福久(ゆりふくひさ)」が全国3位の評価を得ている。

“和牛王国復活”の兆しがある中、5年に1度の“和牛のオリンピック”とされる「全国和牛能力共進会」が2017年9月に開催された。そこで、同大会に出場した智頭町(ちづちょう)の岸本真広さんの牛舎「うしぶせファーム」を訪ねた。岸本さんは、九つある審査区の第7区(総合評価群)の「肉牛の部・種牛の部」に生産者の一人として出品。“花の7区”とも呼ばれるほど、注目を集める区で、鳥取県は「肉牛の部」で1位に、「種牛の部」では5位を獲得。総合2位という大躍進を果たしたのだ。

かつては子牛の競り市が立つほど、畜産業が盛んだったという智頭町は、鳥取県の東南、岡山県との県境に位置する。町の周囲は1000m級の中国山脈の山々が連なり、その山峡を縫って流れる川が智頭で合流し、千代川となり日本海に注いでいる。長い歳月を経て、あの鳥取砂丘の砂を育んだ源流の町でもある。町の面積の93%を山林が占めており、杉を始めとする緑が一面に広がる。この地で和牛の繁殖・肥育一貫の畜産を営む岸本さんは、「物心ついた頃から牛は身近な存在であり、当たり前のように牛の世話を手伝い、牛とともに育った」と話す。迷うことなく2代目を継ぎ、現在は父親の代からの鳥取牛の血統を受け継ぐ黒毛和牛を50頭の母牛と140頭の牛を肥育している。

「肉質のよい牛を育てるには、もちろん血統も大事ですが、育て方によって肉質や脂の質は変わってきます。とにかくよく食べて、よく寝てもらうことが一番です。牛舎の近くにある休耕田で牧草を自家栽培し、毎日新鮮な草を牛に与えています。それに智頭町は山間部で四季の変化があり、空気が澄んでいるうえ、すぐ近くに清流の千代川が流れています。生き物が暮らす環境としては最高ですよね。飲み水は井戸水なのですが、年間を通して水温が一定なので、暑い夏は冷たく、寒い冬には温かく感じる水を与えられます。寝床には、廃材として譲ってもらった杉の木のおがくずを使っています。香りがいいのでアロマ効果もあるかなあって勝手に想像しています。こうした智頭町というよい環境の中で、うちの牛たちはストレスなく、すくすくと育っていると思っています」

鳥取県智頭町の畜産農家、岸本真広さんの牛舎
牛舎から牛たちが外に出てきて日光浴をしている。1歳くらいまでの牛は、屋外へ出入り自由だ。このスペースで皆でひなたぼっこ。岸本さんの牛舎の構造は見たことのないスタイルだ。

さらに特徴的なのが、牛舎のスタイルだ。1歳くらいまでの牛は、牛舎内を自由に回遊できるようになっていて、外で日光浴ができる仕組み。岸本さんを訪ねた日は、ちょうど小春日和で、外に出て日光浴をする牛がたくさんいた。のんびりゆったり、どの牛もおだやかに太陽の光を楽しんでいるようだった。父親の代から45年間、繁殖も手掛ける岸本さんに、牛の出産時の苦労を聞いた。

「ずっと繁殖もやっているので、母牛も常に“ベテラン牛”が多いんです。だから私たちは見守る程度で、あとは母牛に任せて大丈夫。もう生まれるなあとお産用の牛舎に連れて行った後、私が隣の牛舎で仕事をしてたら、生まれたということもしょっちゅうです。とっても楽ですね」と笑って話してくれた。愛情たっぷりに、おいしい水を飲んで、日光浴をしながら、ほぼストレスなく育つ牛たちは、それだけでも健康的で最高級の肉質になりそうである。

樹齢100年の花御所柿

鳥取県の東南部に位置し、北および西は鳥取市、南は智頭町、東は若桜町(わかさちょう)に接する八頭町(やずちょう)は、2005(平成17)年に、郡家町(おこげちょう)・船岡町(ふなおかちょう)・八東町(はっとうちょう)が合併して誕生した。周囲には扇ノ山など 1000mを超える山々に囲まれる町は、これらを源流とする大小多数の河川が合流して八東川となり、千代川を経て日本海に注ぐ。こうした河川の流域に集落が形成され、地形を生かして古くから農林業が盛んだ。そんな町の木は柿である。その通り、昔から柿の生産が盛んな土地なのだ。

八頭町の柿農家の4代目、岡崎昭都さんの自慢は、樹齢100年の花御所柿の木。太い幹から伸びる枝が大きく広がる姿は、まるでアート作品のようである。

花御所柿
太い枝に大きな実をつけているのが、この地域でしか甘くならないという花御所柿である。しかも、八頭町の柿農家の岡崎昭都さんの家で代々守ってきた樹齢100年のものだ。この時期に花が咲いたように美しく実る。

「やっぱり若い木よりも、古い木のほうが味は抜群です。この100歳の木の柿もとても旨みが強い。ただ、老木になると4割くらいが実の表面に黒い斑点や、へたの割れができたりと、JAでは規格外とされて出荷できません。味はピカイチなのに捨てるしかなくてもったいないんです。今年からはドライフルーツとかバキュームフライにして加工を試験的に始めています」

祖父と同じだという100歳の老木を愛してやまない岡崎さんからは、柿への愛情、そして柿農家としてのプライドを感じる。

一方、花御所柿を初めて見たシェニョンさんは、熟して落ちてしまったものを拾い上げ、その香りを嗅ぎながら「熟した実のほうが甘くておいしいと思う。糖度が高いから、ペーストにしたり、フランス菓子のパート・ド・フリュイにするのがよさそう」と岡崎さんにアドバイスした。

この地の特産である花御所柿は、天明年間(1781〜89年)に八頭郡八頭町花の農民ある野田五郎助が大和の国(現・奈良県)から御所柿の穂木を持ち帰って、庭先の渋柿に接ぎ木したのが原木と伝わる。当時は、「五郎助柿」と呼ばれていた。因幡地方でのみ作られているが、その9割が旧・郡家町内での栽培という珍しい柿である。その中でも良質のものがとれるのは、発祥地である旧・大御門村花大門、西御門、殿、市の谷などごく限られた土地だという。
霜が降りる11月に入ると葉が落ち始め、実が甘くなる花御所柿は、11月下旬に収穫期を迎える晩生の甘柿で、糖度が20度以上にもなる。食すと、とろりとした舌触りと甘い果汁があふれみずみずしい。どんどん食べられるジューシーな柿である。

岡崎さんは就農して2年目までに、600本全ての木の皮をむいた。枝や幹の表面に余分な皮がついていると、病害虫のすみかとなり、被害にあいやすいからだという。老木になればなるほど背が高くなって、どんな作業も時間がかかって大変だ。それでも手間暇を惜しまず、柿づくりにいそしむ。

「柿農家はもてないですよー。若い人はもうかる梨にいってしまいます! でも僕は、鳥取=梨ではなくて、鳥取=柿にしたい」と意気込む。実にたのもしい4代目だ。

鳥取県で柿農家を営む岡崎昭都さん
祖父の代から100年以上、この地で柿農家を営む岡崎昭都さん。今後、加工品を作るほか、東京などで独自の販売ルートを開拓して、積極的に100年ものの花御所柿を販売していきたいと考えている。

平飼いにこだわった“天美卵”

八頭町の大江という地に、大江ノ郷さと自然牧場はある。ここは、「健康な鶏を育て、安心して食べられる卵づくりを目指す」という信念のもと、小原利一郎さんがたった一人で一棟の鶏舎を建て、“平飼い”の養鶏を始めた場所だ。それが1994年のことである。小原さんが“平飼い”にこだわったのは、鶏が卵を産む機械になっている大規模養鶏への失望からだという。小原さんがいう“平飼い”とは、屋根のある運動場のような広い開放型の鶏舎内を自由に走り回り、ふんだんに日光を浴びて、砂遊びをしながら鶏が暮らすこと。加えて、自然素材の原料だけを使った飼料を与えている。

大江ノ郷自然牧場の鶏舎
大江ノ郷自然牧場の鶏舎。この鶏たちが産む「天美卵(てんびらん)」には、ドコサヘキサエン酸やエイコサペンタエン酸、α-リノレン酸など魚の油に多く含まれる成分が確認されている。とろりと濃厚な黄身と、ぷるんとした弾力のある白身の卵は“生”で味わいたい。

「平飼いで育った鶏たちは、元気な卵を産むために必要とされる丈夫な筋肉があり、病気の発生を前提とした抗生物質入りの飼料など必要としない健康な体になっています。ですから、抗生物質や薬品は必要ありません。飼料は栄養のことだけを考え、トウモロコシ(遺伝子組み換えなし)、新鮮な魚粉、海藻、カキ殻などを自家配合して与えます。また、酵母で発酵させたおからや米ぬかを混ぜることも始めました。この山麓から湧き出る清水を飲み、深い緑がつくりだす澄み切った空気を吸い、独自の飼料を食べた鶏が産んだ卵、『天美卵(てんびらん)』は“自然そのもの”。安心して食べられる卵だといえるわけです」

小原さんから産みたての卵を手渡されたシェニョンさんは、「健康な鶏から生まれた美しい卵を早く味わってみたい」と興味津々だった。

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オリヴィエ・シェニョン

ロオジエ オリヴィエ・シェニョン

Olivier Chaignon
1978年フランス・ロワレ生まれ。クラシックの殿堂「タイユヴァン」、芸術的ひらめきにあふれる「レストラン ピエール・ガニェール」(いずれもパリ)などで経験を重ねた。2005年に来日し、「ピエール・ガニェール・ア・東京」初代総料理長を経て、2013年から「ロオジエ」のエグゼクティブ・シェフに。伝統料理の基本を守りつつ、現代的な進化を遂げた料理を心掛けている。
このシェフについて