ロオジエ オリヴィエ・シェニョン シェニョンさんもうなった鳥取の食材

エリンギィとの出合い

50年以上ここ八頭町できのこ栽培をしているのが、北村きのこ園だ。1965(昭和40)年にエノキタケの栽培を始め、大阪市場を中心に販売し、ピーク時には年間900tの生産量を誇った。そして20年前に、北村きのこ園2代目社長の北村大司さんがエリンギィと出合う。

「食べてみると歯切れバツグン。焼いてよし、揚げてよし、炒めてよし、和・洋・中華の食材としてキノコの主流になると確信して、栽培に着手しました。今では生産の基盤をエリンギィにして、年間でエリンギィ500t、エノキ100tを栽培し、東京を中心に販売しています」

鳥取県の北村きのこ園
北村きのこ園では、菌付けから収穫・包装まで8工程あるが、その最終段階の「発生」の部屋。15℃、湿度90%の環境で約7日管理する。約2カ月でエリンギィが出来上がる。

北村きのこ園のエリンギィとエノキ栽培で特徴的なのは、培地の組成の基材に約2年堆たい積せきした国産針葉樹のおがくずのみを使用していること。加えて、栄養剤にはふすま(小麦の精麦時に出るかすや表皮)と、米ぬかだけを用いている(エノキは米ぬかのみ)。こうしたシンプルな空調ビンでの栽培方法は、業界でも「できそうでできない」という。

「さらに緑豊かな山間の新鮮な空気とその山でつくられる伏流水を利用し、エリンギィのほんのりとした甘い香りと、旨み、シャキシャキとした食感は、これらのどの要素が欠けてもできないと自負しています」

北村きのこ園で「エリンギィ」を商品名にしているのは、日本に入ってきた当初どこでも、学名の「Pleurotus eringyii」というつづりから「ィ」をつけて表記していたし、そう呼んでいたからだそう。

エリンギィを選別・包装している様子
同程度に生長したものを収穫しさらに選別して、包装する。現在は1日に1.3tものエリンギィを東京・名古屋・広島などへ出荷している。栽培していたビンに残ったエリンギィの石づきは畑にまいて有効活用している。

とっとりジビエ

八頭町の柿畑でも毎年、1000㎏程度の鹿や猪による作物被害が出ていると聞いた。隣の若桜町(わかさちょう)でも同様に、その被害は深刻だ。若桜町では、年間約1000頭以上の鹿等を捕獲するようになった2012(平成24)年に鹿や猪の肉を有効活用しようと、八頭町とともに国の助成を受けて獣肉解体処理施設「わかさ29(にく)工房」を建て、2013(平成25)年7月から稼働している。

2017年6月には、安全を確保するためHACCP(ハサップ)による衛生管理を導入し、鳥取県版HACCP適合施設として認定。衛生面での“お墨付き”を得た。わかさ29工房の指定管理者である河戸健さんは、その道51年の猟師だ。11年前に食肉処理業者の資格を取った。

「前指定管理者は、1日に2頭程度しか処理できなかったのですが、今では1日に10頭以上、持ち込まれることも多いです。個体管理も衛生管理も、日々、徹底しているので、問題なくしっかりと処理することができています」

処理頭数を増やすために河戸さんは、いろいろな工夫をしている。それは捕獲後、素早く適切な処理をすることで、ジビエの肉質、香りのよさが決まるからだ。今は猟師が工房に持ち込むだけでなく、山まで保冷車で取りに行く。その場で素早く血抜きをして、それをマイナス5℃の保冷車に積んで回収。工房で手早く皮をはいで、徹底した衛生管理のもと解体処理をする。

各部位にさばいたら、真空パックにしてマイナス2℃に保たれた「蔵番」の中へ。この「蔵番」は鮮度を保持しながら肉が熟成できるという画期的な業務用冷蔵庫で、ここで1週間程度寝かせる。

「わなでとっても鹿が暴れて血が回ってしまう部分もあります。その部分を処理しながら見極めて、食用とペットフード用、産業廃棄物と区分けしています。おいしいジビエを提供するためには、個体の肉質を見分けることも重要なんです」

若桜町のわかさ29工房であっという間に解体された鹿のモモ
若桜町のわかさ29工房であっという間に解体された鹿のモモ。ここからさらに内モモ、シンタマ、シキンボウ、外モモと細かく部位を分けていく。どの部位も1㎏2000円。

もう顔を見れば、その鹿や猪の肉質が分かるという河戸さん。険しい因幡の山で育った野生の鹿は、運動量が多いため、締まったきめ細やかな肉質である。そのうえ、 野山の恵みをたくさん食べているから、味に深みが出る。

産地の環境が肉質を決めるというジビエだが、それに加えて“個体を目利き”し、適切な処理がされるからこそ、柔らかくて香りがいい食材となるのだ。

わかさ29工房のジビエは、東京や大阪のレストランなどから引き合いが多い。

シェニョンさんも、「フレンチでは鹿はよく使う食材です。ぜひ、イチボやシキンボウを試食してみたい」とかなり興味を持っていた。

河戸さんのおすすめは脂が乗っている“夏鹿”。例えば、オスのロースを薄切りにして、しゃぶしゃぶにすると、とびきりおいしいそうだ。「冬のジビエはかなり浸透してきたので、“夏鹿”という楽しみも広めていきたい」と話した。

わかさ29工房の河戸健さん
解体処理の名人、河戸健さん。鹿はつるし切りにし、細かく部位に分けて真空パックにしていく。とにかくスピードが勝負。ナイフは必ず90℃に沸かした湯で殺菌しながら処理をする。

大山のふもとで育つ大山ブロッコリー

鳥取県西部に位置する大山(1729m)は第四紀の複成火山である。100万年ほど前に噴火活動を始め、2万年ほど前に最後の活動が確認されて以降、噴火活動はない。5万年前に大噴火を起こして、地上に火山灰が積もり、その上に植物が茂る。枯れた植物は分解されて腐植となり、長い時間をかけて黒ボク土が形成されたのだ。大山山麓に広がる水はけがよくて肥沃な黒ボク土を生かして、栽培されているのがブロッコリーだ。大山町中山地域では1971年に米の生産調整があり、転作作物として県の機関が選定した。

大山のふもとにあるブロッコリー畑
大山のふもとには、こうしたブロッコリー畑があちこちに広がっている。ここ大山町の中山地区は40年以上も前からブロッコリー栽培が盛んな土地。大山の肥沃な黒ぼく土が育んだ栄養たっぷりのブロッコリーは甘くておいしいものばかりだ。

40年以上も前から変わらずに守っていることが、高畝にして作ることと、夜10時から朝9時までの間に収穫することである。水に弱いブロッコリーは水はけのいい黒ボク土であっても、根腐れなどを起こしやすいという。また鮮度を保つため、植物の呼吸がおだやかになる気温が低い時間帯に収穫する。この時期、早朝の大山のふもとのブロッコリー畑に点々と光がともっているのは、ヘッドライトを身に着けた生産者がブロッコリーを収穫しているのだ。

大山山麓に雪が降るころ、ブロッコリーはさらに糖度を増し、甘くなる。こうして大山の土の力を受けて山麓で栽培されるブロッコリーを2012(平成24)年に「大山ブロッコリー」と地域団体商標登録し、ブランド力を強化。さらに、その中でも鳥取県知事が認定した生産者、エコファーマーが指定の有機肥料を使って、通常より化学肥料を約70%削減して栽培し、出荷前にブロッコリー特有の苦み、えぐみのもととなる硝酸イオン値を測り、JAとっとり西部の基準数値を満たしたものだけを「大山ブロッコリーきらきらみどり」として出荷。化学肥料には硝酸イオンが含まれるため70%削減し、有機肥料を主体にすることで栄養分が長くゆっくりと届き、苦みやえぐみが少なくなる。茎まで生でおいしく食すことができるのだ。

キュッと硬くしまった花蕾は、張りがあって適度に水分がある。そして生で食べても、茎の部分までみずみずしくて甘い。ブロッコリーの茎を生で試食したシェニョンさんは「ヘーゼルナッツのような甘みを感じる」と感想をもらした。

食材探訪の旅を終えたシェニョンさんにその出合いについて聞いた。

「初めて鳥取県に来ましたが、本当に食材にあふれた土地だと感じました。蕪を皮のままかじったり、白ねぎの天ぷらを食べたりして、新しい料理のインスピレーションもわいてきました。それに生産者さんたちは、高品質のものを作ろうというモチベーションが高く、そのうえ地域の活性化につなげようと、すごく努力をしているのが伝わってきました」

漁師の山口さんにサワラの活〆の方法を熱心に聞いていたシェニョンさんは、魚料理が得意だそう。セリ場に並んだ魚を言い当てるほど、日本の魚にも精通している。いろいろな食材を持ち帰り、「じっくり吟味してこれからの料理につなげていきたい」と笑顔で話した。

魚見台からの朝日
鳥取市から大山方面へ向かう途中の魚見台からの朝日。ここは因幡・但馬海道八景の一つ。その昔、漁師たちが魚の大群を探したという高台である。白兎(はくと)海岸、鳥取砂丘、遠くは但馬海岸を望むことができる。

Photo TONY TANIUCHI
※『Nile’s NILE』2018年1月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

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オリヴィエ・シェニョン

ロオジエ オリヴィエ・シェニョン

Olivier Chaignon
1978年フランス・ロワレ生まれ。クラシックの殿堂「タイユヴァン」、芸術的ひらめきにあふれる「レストラン ピエール・ガニェール」(いずれもパリ)などで経験を重ねた。2005年に来日し、「ピエール・ガニェール・ア・東京」初代総料理長を経て、2013年から「ロオジエ」のエグゼクティブ・シェフに。伝統料理の基本を守りつつ、現代的な進化を遂げた料理を心掛けている。
このシェフについて