美味往還、旨し国 伯耆・因幡

鳥取の旨い海産物

北前船の寄港地の華やぎ 赤碕漁港

赤碕地区
赤碕地区は、狭い路地があったり、家が密集していたりと、漁師町の風情が色濃い。その中に漆喰に海鼠壁を持つ旧家が点在し、北前船の寄港地として栄えた往時の繁栄ぶりを今に伝えている。

鳥取県のほぼ中央、米子市と倉吉市の間に位置する赤碕港は、享保・寛政年間(1716~1789)に築港の記録が残る、古くからの港町である。江戸時代に入り、赤碕港から大坂へ年貢米が回送され始めると、船番所(通行する船を検査し、税を徴収する役所)が設置され、その年貢米を収める藩倉が立ち並んだ。

また、北前船の寄港地としても栄え、倉吉の産物やその原料、あるいは日用品などの移出入にも、ここ赤碕港が使われた。さらに、伯耆街道(山陰道)の宿場町にもなり、海路・陸路の交通の要衝として発展した。全国的に綿花栽培が盛んになると、一大産地に成長し、大坂や京都などの商人との取引が、その繁栄に拍車をかけた。

こうした往時の姿は、海に沿って立つ家々の中に、漆喰に海鼠壁の大きな蔵を持つ旧家によって、今に伝えられている。その一つが、日本の芸術写真の分野で草分け的存在として活躍した塩谷定好の生家だ。塩谷家は、代々廻かい船せん問屋を営む富豪で、1906(明治39)年に本宅兼事務所として建てられた木造2階建ての建物や土蔵群が、その栄華をしのばせる。現在、「塩谷定好写真記念館」として公開されている。

神経締め、墨・血抜きして極上に 赤碕町漁業協同組合

地元出身の漁師、小掠誠さん
地元出身の漁師、小掠誠さん。釣り好きが高じて、迷わず漁師の道に進んだ。「海誠丸」で春から秋は神経締め、墨抜き、血抜きを徹底して行う「鳥取墨なし白イカ」をとる。10月からは2.5㎏以上の鰆を、釣り上げてすぐに船上で脳殺する「船上活〆釣サワラ」として出荷している。

鳥取の夏を代表する魚介といえば、白イカ(ケンサキイカ)だ。6月から11月の日本海では、漁火をともしながら、白イカを釣る。

近年、赤碕町漁業協同組合では若手の漁師らを中心に、白イカのブランド化を進めてきた。そのリーダー的存在であるのが、「海誠丸」の小掠誠さんだ。まだ31歳ながら漁師としての確たるプライドを持って取り組んでいる。

「僕は釣り好きが高じて漁師になりました。とにかく魚が好きだし、赤碕の旨い魚介を大勢の人に、おいしい状態で食べてほしい一心で、白イカを釣り上げてすぐに、船上で神経締めと墨抜き、そして血抜きを徹底してやっています」

鳥取で白イカと呼ぶのは、ケンサキイカのこと。ヤリイカ、アオリイカと並ぶ高級イカではあるが、山陰と九州北部が産地となっている。だからこそ、小掠さんは他の地域との差別化を図るための取り組みとして、“神経締め”と“墨抜き”の両方をやることを模索し始めたという。

「釣り上げた瞬間に神経締めをしなければならないので、手間はかかるし、漁獲量が減るというデメリットはあります。いろいろと試して、医療用の道具を活用して、今では手早く、神経締めをして、墨を抜き、さらに流水で血抜きまですることを徹底しています。それとイカは真水が大敵。雨が一滴当たったくらいでイカの繊維が壊れてしまう。雨の日は、海水をためたいけすの中で、丁寧に処理をするんです」

と話す小掠さんの横顔からは、白イカに対する愛情と本物の漁師のプライドを感じた。鳥取の白イカは、新鮮なものほど身が厚く、もっちりとしていて、甘みと旨みが強い。この新鮮な状態が神経締めと墨抜きの処理をすることで、1週間程度同じ“鮮度”で味わえるという。

赤碕町漁協で前日に小掠さんが釣り上げ、冷蔵庫に1日入れてあった2日目の白イカを神田さんと鳥取の料理人とともに試食。白イカの皮をはいで、その身が現れると「透明感があって、きれい! 普通1日以上経っていたら、身はゆでたみたいに真っ白い状態なのに、神経締めしたイカは、釣ったばかりのようにまだまだ透明だし、イカの筋肉組織が壊れていないから食感がもっちりしている。ものすごく甘みもありますね。それに墨抜きもしっかりされているから、さばく時に水を使わずに済むのもいい。小掠さんが精度の高い処理をしているから、こんなにもおいしいんでしょうね」と神田さんは感心しきりだった。

  • 漁師の小掠誠さんと神田裕行さん
    漁師の小掠誠さんが、前日に釣り上げてすぐに神経締めして墨袋をとり除いた白イカを、冷蔵庫に1日入れておいた、2日目のものを見せてくれた。
  • 白イカ
    目のすぐ上から医療用の鉗子(カンシ)を入れて神経締めをする。この位置ですればゲソまでしっかりと締めることができるという。
  • 白イカ
    小掠さんの白イカを店で出している、四季彩「かしも」の樫本智史さんが手際よく、イカをおろす。包丁が透き通って見えるほど身は透明だ。
  • 白イカ
    「皮をはぐと、驚きの透明感ですね。身が透き通っているのは、まだまだ新鮮だということ。2日目のイカではあり得ない色です」と神田さん。
  • 白イカ
    神経締めをするということは、イカの筋肉の組織を壊さず、生きているような状態を保っている。5日目まで甘みが増していくという。
  • 白イカ
    2日目の白イカを食べて「とれたてのアオリイカくらいの甘みがある。筋肉の組織が壊れていないから食感もすごくいいです」と神田さん。

白イカは7月下旬から産卵に入り、1年足らずのその生涯を終える。そして、新たな命が育ち、秋ごろには〝ブドウイカ〞として、地元の食卓に再び上がる。

小掠さんは「サイズは小さめで肉厚な、秋にとれるこのブドウイカを、ぜひ神田さんに食べてみてほしい」と満面の笑み。小ぶりながら肉厚で、もっと甘みが強いという“ブドウイカ”の味が気になって仕方がない様子の神田さんだった。

赤碕町漁業協同組合 
TEL0858-55-0421

歴史ある漁港の若い力 淀江漁港

定置網船「よどえ丸」の船長兼漁労長を務める池淵和樹さん
定置網船「よどえ丸」の船長兼漁労長を務める池淵和樹さん。一番若い漁師というが、ベテラン漁師と力を合わせて、毎日、淀江漁港から沖へ約2㎞の漁場へ船を出す。帰港したら手早く魚を仕分けして出荷する。

米子市淀江町にある淀江漁港は、約200年前には築港されたという記録が残る、歴史ある港だ。

大山寺信仰が盛んだった往時、淀江港には、大山寺の博労座で春と秋に開かれていた牛市への牛船が着き、また境港や島根半島への交通の要衝として商船が出入りして、にぎわったという。明治時代に入って陸上の交通が発達すると、商船は姿を消し、漁港へと姿を変えた。

淀江漁港では、ブリやアジ漁の他に、タコつぼ漁でも知られている。所属する漁師は約100人、その中で最も若い漁師が池淵和樹さんだ。

現在、乗組員5人の定置網船「よどえ丸」の漁労長兼船長を務めている。まだ24歳の池淵さんは、日本で一番若い、漁労長だという。

定置網漁は、魚を追いかける漁法と違い過剰にとることがなく、環境にやさしい漁法として、今、見直されている。この日も、朝6時に出港し、沖合2㎞周辺で漁をして、8時には帰港。とってきた魚を手際よく仕分けし、ベテランの漁師に的確な指示を飛ばしながら、魚を氷詰めする池淵さんの姿は、すでに頼もしい。

「刻々と変わる潮の流れを読み、魚の産卵期などの生態系を考慮しながら、魚の習性を熟知して、船を操業しなければなりません。それには、さまざまな経験を積んでノウハウを蓄積する必要があるので、日々、勉強です!」

漁師4年目。根っからの魚好きだという池淵さんの活躍に期待が高まるばかりだ。

  • 岩ガキ
    大山を始めとする、中国山地から栄養豊富な水が流れ込み、良質なプランクトンが生息する山陰海岸は、岩ガキの名産地。身は大きくなめらか、磯の香りあふれる濃厚な味わい。
  • マダコ
    生きているマダコ。マダコも神経締めをすると、その旨さを保つことができるという。淀江漁港では、古くからタコつぼ漁も盛んだ。県内で唯一、淀江だけがタコつぼ漁を操業している。

淀江漁港をあちこち見て回っていると、ウェットスーツ姿の男性が、「ウニの味見をしてみますか?」と声をかけてくれた。今、素潜り漁を終えて、漁港に出荷しに来た漁師の元木輝さんだ。元木さんは、夏は素潜りでウニやアワビを、冬は釣りで鰆やフグをとる。夏の素潜り漁は、1日1時間半までと規制されており、漁獲量を調整している。

「淀江で潜って11年になります。年々、ウニは減ってますね。この辺りの海では、黒ウニが山ほどいて、赤ウニの餌まで食べてしまって赤ウニが太れなかったり、もともと生き物として黒ウニのほうが強いから赤ウニが駆逐されている感じです」

貴重な赤ウニを割って試食させてもらうと、身の色合いがさまざま。これはどうしてか。

「今までウニの身の色の違いは、ウニが食べている餌による差だといわれていたんですが、どうやらもともとの個体差で、いろいろな色のウニが存在しているようです」と元木さん。

神田さんも赤ウニをいくつか食べてみて「色が明るいウニのほうが甘みを感じておいしいなあ」とポツリ。「ところでそこの軽トラに書いてある“がいな鰆”って?」と神田さんが質問すると、元木さんはうれしそうに「実はこれ僕らがブランディングした鰆なんです。冬に脂がのった3㎏以上の鰆を船上で徹底して血抜きしたものを“がいな鰆”として出しています。すぐに食べるよりも、7日から10日寝かせて、刺し身で食べるのがおすすめです」

赤ウニ
素潜りの漁師、元木輝さんが今、とってきたばかりの赤ウニ。イガイガはほんのりピンク色で赤ウニらしいきれいな色合い。赤ウニといってもよく見ると殻の色もさまざま。同様に身にも色の差がある。
漁師の元木さん
漁港をウロウロしていた私たちに試食をしないかと声をかけてくれた漁師の元木さん。神田さんも微妙に違う色の赤ウニをあれこれ試食。「色が明るい身のほうが好み」だそう。

鳥取県漁業協同組合 淀江支所
TEL0859-56-2043

大山町の旬の幸 御来屋漁港

御来屋漁港の魚

大山町の御来屋や 漁港は、ミネラル豊富な大山の伏流水が流れ込み、それを吸収した海藻が育つ海を擁する。県下一の漁獲量を誇るサザエなどの貝類を始め、定置網や刺し網によるさまざまな魚が揚がる。そんなこの地ならではの海の幸をそろえるのが「お魚センターみくりや」だ。

「朝7時に1㎞ほど離れた漁場から定置網の船が帰ってくるので、とれた魚をそのまま店に出しています」と、店長の角すみ尚ひさ諭としさん。「直売所はここしかないので、大阪から来てくださる常連さんもいます。春には大ぶりのアジ、秋ならウチワハギというカワハギがおいしいですよ。東京にも直送しています。セリにかけると1日置くことになりますが、直送ならとれたてを届けられます」

店頭には定置網で漁獲した魚の他、刺し網でとれた鰆やハマチ、タイ、サザエ、そして境港の沖合底引き網船が揚げたモサエビやアナゴ、アカガレイなどがずらりと並ぶ。11月からは松葉がに一色になるが、白身があっさりとしたヤガラなど、スーパーでは見かけない珍しい魚も、よいものを目利きしてそろえているのがこだわりだ。「白イカは身が白いものと赤いものがありますが、あがりたては白です。次第に赤くなるのですが、2日ほど経つとまた白くなり、加熱用になります。いい魚の見分け方もお伝えするので、何でも聞いてください」と角さん。

2階には地魚料理店もあるので、ぜひ大山町の旬の幸を味わってみたい。

お魚センターみくりや
TEL0859-54-5511

鳥取の旨い酒

醸は農なり日置桜 山根酒造場

四季彩「かしも」の樫本さん(左)、蔵元の山根正紀さん(中)、「梅乃井」の宮﨑さん(右)。
四季彩「かしも」の樫本さん(左)、蔵元の山根正紀さん(中)、「梅乃井」の宮﨑さん(右)。「不思議なことに、同じ生産者でも酒米の品種や酵母に相性があるのです。生産者、品種、酵母をパズルのように組み合わせ、理想の一滴を目指しています」と蔵元の山根さん。

鳥取銘酒の代表選手「日置桜」を醸す山根酒造場は、田に囲まれたのどかな地にある。「造り酒屋は町の中心や街道沿いなど人が集まるところに多いのですが、この環境は異例です。しかし、近くに因州和紙の産地があるほどの水が豊かで、農村に囲まれているので米が調達しやすいというメリットもあります」と、蔵元の山根正紀さん。

大学で酒造りの講師も務めるほどの研究肌の蔵元。県内の酒米で長年、生産が中断されていた強力を復興させた立役者でもある、県内でも一目置かれる造り手だ。

昔は質より量の酒造りをしていたが、5代目を継いだ山根さんが「もっとシンプルなモノづくりを」と舵を切った。すなわち「醸は農なり」。酒は原料の米によるところが大きいことを、ある農家との出会いで知った。そのつややかな美しい米を見た時、単一農家の米だけで酒を仕込む「シングル醸造」をしようと思い立ったのだ。「こんなに違うのか」。できた酒は、山根さんの心を震わせた。

「農家さんと直接お話しすることで、農薬や余分な肥料を減らすことなどを細かくお願いできます。毎年一度、農家さんを招いてお披露目会をするのですが、実際に自分の米で造られた酒を味わうことで彼らの思いも変わります。そうすると農家さんにファンがつき、より張り合いが出ますよね」と山根さん。

「ワインにおける葡萄は樹木なのでテロワールが強く影響しますが、稲は一年草なので、人の向き合い方が如実に表れます。醸は農であり、人なのです」

  • 山根酒造場
    1887(明治20)年創業の山根酒造場の古い建物には、かつて酒造りに使用していた木桶(きおけ)などの道具がたくさん収められている。ちょっとした酒蔵博物館だ。
  • 日置桜 生酛(きもと) 強力
    この「日置桜 生酛(きもと) 強力」は、奥深い味わい。店で日置桜を提供する樫本さんは「日置桜はお米の味がしっかりとするお酒ですが、キレがあって食中酒に最高です」。

山根酒造場
https://hiokizakura.jp/

燗してなおよくなる辨天娘 太田酒造場

中国山地の雪解け水からなる豊かな伏流水と、県内で栽培された上質な酒米から生み出される、きめ細かくまろやかな口当たりの美酒の産地でもある鳥取県。各地の多彩な食文化に育まれた、個性あふれる酒造りが根付いているのも特徴だ。

近くに祀られた水の神、弁財天にちなんで名づけられた「辨天娘(べんてんむすめ)」の造り手である太田酒造場もその一つである。

「蔵ができて100年余り。私で5代目です」と社長の太田章太郎さん。

「梅乃井」の宮﨑さん(左)、太田章太郎さん(右)
「辨天娘は玉栄も山田錦も本当においしいですね。お客様も飲み比べを楽しまれています」と「梅乃井」の宮﨑さん(左)。「酸がしっかりあるので、料理と合わせたい酒。ボトルによって個性がありますが、お店ではそれぞれに合う料理と一緒に出してくださるのでありがたいです」と太田章太郎さん(右)。

「地元の農家さんにいい米を作ってもらって、それをなるべく磨かずに完全発酵させるのがうちのスタイルです。どういうことかというと、お酒を造る時、糖分を酵母が食べてアルコールに変えていくのですが、通常は途中で発酵を止めて甘みを残すところを、うちでは完全に発酵させます。こうすると、米の個性が素直に酒に出るのです」

だからこそ、玉栄さ、強力、山田錦、鳥姫など酒米ごとに、さらに生産者ごとにタンクを分けて醸造する。酒米はすべて若桜町の契約農家と、自社栽培で賄う。

「酒米栽培の段階から対話ができるのが、地元の契約農家さんにお願いするメリットです。米の収穫量が少ない年は酒の出荷量も少ないですが、うちらしい酒造りをするためなので、それでいいと思っています」

宮﨑さんも「冷やでもおいしいし、燗にしても力が出ます。大阪の店にいた時は、手に入らなかったくらい人気のお酒です」と太鼓判。食中酒として、どんな料理にも合う銘酒だ。

  • 太田酒造場
    1909(明治42)年創業の若桜町の旧街道に蔵を持つ太田酒造場は、緑と水の豊かな環境の中で「辨天娘」を造り続けている。
  • 太田酒造場
    地元、若桜で契約農家が栽培した米を、その個性が酒にストレートに出るよう完全に発酵させ、“燗してなおよくなる”純米酒を目指す。

太田酒造場
http://www.ben-ten.sakura.ne.jp/

Photo TONY TANIUCHI Text Rie Nakajima Nile’s NILE
※『Nile’s NILE』2019年9月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

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