東の灘と謳われた酒の町・大山
加藤清正の子孫が受け継ぐ栄光冨士
1788(安永7)年創業の冨士酒造では、ひと足早く仕込みの時期を迎えていた。作業場に入ると、米を蒸した甘い匂いが満ちている。若い職人たちが、きびきびと忙しく働いていた。冨士酒造では、仕込みは添掛(そえかけ)、仲掛、留掛(とめかけ)の3度にわたって行い、留掛まで終わるとタンクに移して醸造させる。タンクをのぞくと、中に氷も入っていた。温度が高いままだと、米が溶けて、雑味のもととなるタンパク質が出てしまうのだ。
蒸し上がった米はエアシューターでタンクへと運ばれる。「昔は、人が担いで運んでいたんですよ」と、13代当主の加藤有慶氏が振り返る。傍らでは、杜氏が醸造の進むタンクを一つひとつ回り、丁寧に混ぜていた。
「どれだけ機械化が進んでも、酒は生き物。発酵が速くなったり遅くなったり、私たちの意表をついた動きをします。そういうときに、杜氏の経験と判断力が欠かせません」と、加藤氏。冨士酒造では、酒造りに50年の経験を持つ、岩手の南部杜氏を招いている」
麹を造る麹室も見せてもらった。麹用の米を温度と湿度を調整した蒸し暑い麹室でおよそ2昼夜寝かせ、麹を作る。「同時に仕込んだ麹でも、発酵のペースが違います。温度が上がったり、下がったりするので、毎日1人が麹室に泊まり込んで、4時間おきくらいに混ぜて様子を見るんです」。麹はわがままなんですよ、と言いながら、その表情は楽しげだ。人の手を掛け、時を掛け、大切に造られた酒は、酒蔵にとって子どものような存在なのだ。
冨士酒造を営む加藤家は、かつて庄内・丸岡に流された加藤清正の嫡男・忠廣公がもうけた子女の家系であるという。蔵には、清正公と同じ蛇の目の家紋があしらわれていた。江戸時代の建築という蔵からも、その歴史の深さが感じられる。
冨士酒造の代表作の一つに、「古酒屋のひとりよがり」という酒がある。酒といえば普通酒だった昭和50年代に、品評会用の大吟醸を出そうと言い出したのは先代だった。値が張るため売れなかったとしても「蔵元の心意気を知ってもらおう」と、販売に踏み切ったのである。結果、地元では売れなかったが、東京の銀座で人気を博し、地元にも波及することとなった。清正公と大山の酒に誇りを持ち、創業以来「一本一本の酒に、日本一真しん摯し な思いを込める」ことを目指してきた富士酒造ならではのエピソードだ。
その冨士酒造の最高峰が、2012年度の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した大吟醸「栄光冨士」だ。国内での日本酒の消費が低下し、経営が危機を迎えたとき、加藤氏はこの酒を手に海外へと販路を求めた。冨士酒造の技と心を込めた栄光冨士は日本酒になじみのない海外でも高く評価され、現在では、アメリカやアジア圏で広く愛飲されている。
「かつて大山酒は、ここから日本全国に運ばれました。今は、国外にも送られています」と加藤氏。大山に受け継がれてきた進取の精神を垣間見た気がした。
冨士酒造
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