豊饒の地で育まれる伝統野菜-庄内平野 酒田・鶴岡-
鶴岡の文化の一つである民田なす
めずらしや山をいで羽の初茄子
「おくのほそ道」で松尾芭蕉が詠んだこの「初茄子」とは、民田なすのことだと伝えられている。鶴岡出身である藤沢周平の作品にもたびたび登場する民田なすは、郷土の文化とも深く結びついた「由緒正しき茄子」だ。小さくてコロリとした可愛らしい形。皮と実は堅く締まって歯触りがいいのが特徴で、主に漬物として食べられている。
民田なすのルーツにはいくつかの説があるが、有力なのが、京から伝えられたというもの。昔、神社を造るため京都からやってきた宮大工が、滞在中に食べるために一口なすの種を持参しこの辺りに蒔いた。それが広まって民田なすになったと言われている。
「昔は今ほどなすの品種が多くなくて、この辺りでなすといえば、民田なすのことでした。小さいものは漬物にして、大きいものは料理に使って、と食べていた。私の家でも祖父の代……1970(昭和45)年位までは栽培していたけれど、世の中の流れで作らなくなりましたね」
こう話すのは、一度途絶えかけた民田なすの伝統を復活させた、鶴岡協同ファームの五十嵐一雄社長だ。五十嵐さんは、2003(平成15)年から民田なすの栽培を再開。きっかけは、市内で小学校教師をやっている友人の「生徒に民田なすを見せたい」という一言だった。だがそのとき、民田なすの主な生産地は中国やタイなどになっていて、肝心の地元では、農家が自宅で食べるためにごく少量作っているだけという状況。
「ここは民田なのに民田なすがないのか、へーと思って。それで、これは負けられないなと(笑)、復活を決意したんです」。ときにユーモアを交えながら笑顔でそう語る五十嵐さんの表情は力強い。
とはいえ、もともと五十嵐さんの家の主力は米であり、野菜を栽培したのは民田なすが初めて。はじめの一年は全くの手探り状態だった。最初に栽培した畑は、浅い層が砂利になった土地。なすは根が横ではなく下に広がる特性があるため、砂利には根が付かず失敗に。「米は単純だけど野菜は難しいね」と苦笑い。
ただ、全て分からない状態から始めたからこそ、従来の生産方法のおかしなところ、矛盾したところなども気になったという。今では30アール、2500本ほど民田なすを栽培しているが、「最初30アールでやったときも、周囲からは不可能だろう、そんなに取れるわけがないと言われた。そういう既成概念から離れることが一番大変ですね」。
なす作りの工程は機械化されておらず、そのほとんどが手作業。そのため米などに比べて手間が掛かる。特に最盛期になると、朝夕の2回収穫しないと間に合わない。それでも、民田なすを地元に根付かせたいという五十嵐さんの決意は衰えない。
地元の人は、民田なすの株が生い茂る風景を見て夏の訪れを感じるという。鶴岡の文化の一つである民田なす、その伝統を絶やさないようにと、五十嵐さんは切磋琢磨を続ける。
フルーツタウン産直「あぐり」(鶴岡)の野菜
みどりの里「山居館」(酒田)の野菜
Photo Masahiro Goda Text Ayuko Miura
※『Nile’s NILE』2012年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています