海の萩

海に開けた商都・萩

毛利輝元が城と城下町の建設を始めた頃、日本海に面する港町、浜崎に商人たちが集まるようになった。城下町として知られる萩は、実は海に開けた商都でもあった。萩(長州)藩の財政はこの地域に支えられていたと言っても過言ではない。

今回は、"海に開けた商都・萩"といった側面を見てみることにした。

萩の海
萩城は山に、海に映える名城だった。1874(明治7)年に解体された後、旧本丸跡に歴代藩主を祀る志都岐山(しづきやま)神社が創建された際、総面積約20万㎡の境内が指月公園として整備された。

港町・浜崎へ

毛利36万石の城下町である萩は、日本海に注ぐ阿武川の二つの支流、松本川と橋本川に囲まれた三角州を中心に発達した町である。まずは海を目指して松本川沿いを走った。

途中、浜崎卸売魚市場に行き当たる。右手に山の緑、左手に日本海が広がる眺めは、とても気持ちがいい。松本川の川べりをぶらぶら歩きながら、しばし海、山、川の織り成す風景の中に身を置いた。ふと川を見やると、小船が視界を横切った。なぜかカメラマンが乗船している。抜け目ない……。それは「鶴江の渡し」と呼ばれる渡し船。藩政時代の名残と言おうか、まだ川内に入る橋が松本橋と橋本橋の2本しかなかった頃、住民は渡し船を足として利用していた。今も鶴江地区と浜崎地区の間には橋がなく、歩くと20~30分はかかる。乗船無料の鶴江の渡しは堂々現役を張っているわけだ。時間の流れまでゆったりするような、風情ある光景が胸に染み入る。

かつての賑わいを伝える商家町

市場の向かい側に渡ると、「浜崎伝統的建造物群保存地区」の案内板が目に入った。通りを入っていくと、最初に藤井家に出くわす。海産物や魚の問屋を営む商家だったという。さらに足の赴くままに道を進むと、毛利家直轄の荷受けをしていた海産物問屋の斉藤家、蒲鉾製造業を営んでいた池部家、今も漁網の製造や漁具・船具・金物を商い、店内に古い民具や漁具を展示する中村船具店と、古い町家が次々と現れた。

知らないうちに、萩藩の財政と台所を支えた商家町に迷い込んでいたようだ。

通りの先でご婦人方が「おいでませ」と声をかけてくれた。昭和初期に建てられ、近年「浜崎町並み交流館」として整備された旧山中家でガイドを務める皆さんだ。説明を聞いて、また資料をいただいてわかったのは、ここは古くから廻船業を営む人たちや生活物資を商う人々、水産業に携わる人々、船大工などが多く住んでいて、現在も彼らの家々が軒を連ねる町並みが健在であることだ。伝統的建造物に指定されている建物が、何と138棟! その年代はおおよそ、46棟が江戸期、67棟が明治・大正期の建物だそうだ。建物の造りは基本、真壁造平入り。柱を露出させ、柱と柱の間に塗り壁を施している。さらに蔀戸、格子、装飾用の袖壁、鬼瓦、なまこ壁など、多様性に富む意匠が凝らされている。

そんな町家の一つで、現在公開されている旧山村家住宅を見学した。ここは江戸時代に建てられた大型の町家。萩、山口から九州の辺りでは珍しい表屋造りという、京都や大阪の豪商に見られる建築様式が用いられている。いったん土間に入ってから中庭に出た先に玄関をしつらえるスタイルで、商売とプライベートの領域を分けているのが特徴的。当時最も洗練された町家の建て方だという。また建物の西側・2階の壁は、松を焼いたススなどを漆喰に混ぜ込んで造った黒漆喰。上方で流行した粋な壁を取り入れたことが推察される。中の南主屋は、随所に丸太の面がそのまま残された数寄屋風の意匠がしゃれている広々とした座敷。庭を眺めながら、気持ちよく商談が進みそうな空間である。

  • 旧山村家住宅の南側
    旧山村家住宅の南側。右の棟積の部分は、海に近い浜崎らしく、丸瓦を横向きに重ねた波のような模様。建物の下半分は、風雨にさらされたりしても大丈夫なようなまこ壁になっている。
  • 旧山村家住宅
    旧山村家住宅は中庭を挟んで、主屋と二つの土蔵、離れが配置されている。北土蔵では山村家を始めとする町家の歴史資料、南土蔵では浜崎の生活資料を展示。

ほっと一息ついたところで、次は萩藩時代の遺産、御船倉に向かった。これは萩藩主の御座船や軍船を格納したところ。1608年に萩城築城後すぐに建てられたとされる。ということは優に400年の歳月を経ているわけで、1971年に解体修理が行われているとはいえ、さすがに“殿様仕様”。威風堂々の姿を今にとどめている。明治以降の埋め立てにより、今は川から100mほど離れた、民家の建ち並ぶところにあるが、もともとは川から直接、船の出入りができたそうだ。

旧萩藩御船倉
旧萩藩御船倉。両側に石垣を築き、その上に太い丸太を渡して梁としている。屋根は本瓦葺き。江戸時代は藩主の御座船を格納していた。

それにしても奥行き26.9m、間口8.8m、高さ8.8mという巨大さには圧倒される。中に入るとなおさら、その大きさが実感できる。重い扉を開けて船倉に足を一歩踏み入れた瞬間、ひんやりした空気の中で固まってしまったほどだ。ちなみに屋根を持つ船倉が現存するのは、日本でもここだけだと言われている。

浜崎めぐりの締めくくりに、住吉神社をお参りした。浜崎の廻船問屋が、船が遭難した折に住吉宮勧進を祈念して難を逃れたことから、1659年に大阪住吉大社から勧請・創建された神社である。夏に行われる祭りでは、御座船を模した山車の上で「お船謡」が演唱される。この歌は、毛利家の御座船唄として、藩主が乗船する時や、新造船が進水する時などに歌われた。

神社の横手に出ると、菊ケ浜が見える。幕末、武士の妻や奥女中が中心になって、約2㎞の土塁を築いた浜である。きっかけは、尊皇攘夷を掲げる長州藩が下関・関門海峡を通過する外国船を砲撃し、米英仏蘭の4国連合艦隊から報復を受けたことである。

萩に残る人たちは「外国船の襲来に備えねば」と一致団結。この通称「女台場」を造った。NHK大河ドラマ『花燃ゆ』にも出てきたシーンなので、記憶している人も多いだろう。それはさておき、菊ケ浜の向こうにぽっこりとした山が見える。萩城跡のある指月山である。次の目的地はここにしよう。

毛利260年の魂が宿る城下町

領国を周防・長門の2国に減じられた毛利輝元は、萩の指月山に居城を構えた。関ヶ原の戦いで打倒家康を目指す西軍の総大将だったのだから、萩に封じ込められたのも同然だ。しかし毛利氏は、腐らなかった。輝元の跡を継いだ長男・秀就は、家康の孫娘を正室に迎えて松平姓を賜るなどして、徳川氏との関係を修復。2代藩主の綱広の頃には、藩の諸体制も整い、西国の大藩・萩藩主として、江戸時代260年を過ごしたのである。

その拠点となった萩城は、指月山麓にあることから「指月城」とも呼ばれた。山麓の平城と山頂の山城を合わせた平山城。本丸、二の丸、三の丸、詰つめ丸まるから構成されていた。1874年に天守閣や矢倉などの建物は全て解体され、今は石垣と堀の一部が残るのみ。ちょっと寂しい気もするが、堅牢な石垣と真っ青な海の織り成す風景は美しく雄壮で、「毛利、ここにあり」の存在感を放っている。

もっとも毛利家の家臣たちは、敬愛する輝元とともに萩に移ったものの、生活は困窮を極めたようだ。上級武士は家禄を減らされたし、下級武士の多くは知行も扶持ももらえず農民になったという。彼らを支えていたのは「先祖は山陽・山陰にまたがる領地を持つ安芸の毛利家だった」というプライドだったのかもしれない。それが「徳川憎し」の怨嗟と相まって、幕末期、倒幕に向かう、身分を超えた結束力を生んだとも言われている。

ともあれ、萩藩の台所は常に火の車であった。その中で踏ん張れたのは、「海の恵み」あればこそ、という見方もできる。

その意味では、移封先が萩だったのは幸運だった。毛利260年の魂を養うことにもつながったのだから。東側を除く三方を、日本海、響灘、瀬戸内海(広島湾・伊予灘・周防灘)の三つの海に開けている山口県。海岸線の総延長は全国第6位で1503㎞に達し、屈曲に富んでいることから、古くから漁業が盛んな地である。江戸時代、萩(長州)藩は漁業を積極的に奨励しており、藩の大きな財源にしていた。

山口の魚といえば、真っ先に下関のフグを思い浮かべる人も多いだろう。しかし、フグだけではないのだ。アマダイ、ハモ、ケンサキイカ、アワビ、サザエ、マダイ、クルマエビ、マアジ、タチウオといった魚介類の漁獲量は全国トップクラスを誇る。

カマス
萩地方卸売市場には、近隣の14漁協(支店)から船やトラックで魚が集まってくる。養殖ものはほとんどない。秋の訪れを告げるカマス。その目の色と体は新鮮だからこそ美しく輝く。

そんな漁業県・山口の実力を知るために、萩の地方卸売市場を訪れた。一番競りは午前2時に始まる。1時過ぎには、競り落とす魚に目星をつけようと仲買人が大勢集まってくる。幻の高級魚と言われているキジハタ、そして京都の料理店で“ぐじ”として供されるアマダイ、ノドグロ、イトヨリ、サザエ、ヨコワ(クロマグロの幼魚)と驚きのラインアップで毎日、競りが行われる。

  • アマダイの干物
    萩漁港で獲れたばかりの新鮮な魚が集まる、萩しーまーとで売っていたアマダイの干物。新鮮な魚を用い、風や太陽の光を当てて旨みを引き出している。
  • ケンサキイカ
    ケンサキイカ。肉厚で柔らかく、甘みが強い“イカの女王”とも呼ばれる。赤みがかった褐色のものが新鮮。
  • ヒメジ
    萩地方では「金太郎」と呼ばれるヒメジ。鮮やかな朱色が美しく、15㎝程度の小魚ながら、甘みのあるほっこりした身が特徴である。
  • 小アジ
    背が黄金に光る小アジ。日本海には多くの天然礁(瀬)があり、ここにマアジがすみつき育った「瀬つきあじ」も多い。

もう一つ、萩市場ならではの特徴がある。それは、古くから漁業が栄えていたこともあり、定置網、底引き網、まき網、釣りなど魚種に合わせてさまざまな漁法を持つこと。そのうえ、漁場が近くどの船も漁獲をしてからすぐに帰港するため、水揚げ時の鮮度は抜群だ。中でも専業の延縄漁師が一尾ずつ丁寧に釣り上げるアマダイやキジハタは、見た目が美しく、最上級のものが萩市場に並ぶのである。

  • 山口のアマダイ
    全国第1位の漁獲量を誇る山口のアマダイ。萩では延縄による漁法が中心で、漁場が近く鮮度がいい。1㎏級の大きなものも珍しくない。
  • キジハタ
    全国的に水揚げ量が少なく“幻の高級魚”として知られるキジハタ。旨みが強く癖のない上品な味わいの白身魚。

萩地方卸売市場

萩地方卸売市場の一番競りは午前2時開始。キジハタ、アマダイなど高級魚が並ぶ。2番競りは4時30分からで、マアジ、ケンサキイカ、サワラ、ヨコワなどが競りにかかる。仲買の業者は108にも上る。
萩地方卸売市場

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Photo Satoru Seki Text Junko Chiba