銀座 小十 | 奥田 透 苦味、甘味、旨味

「苦さと香ばしさの中に甘いところを見つけちゃった、そこから鮎のおいしさにはまる感じかな。でもね、その甘さは胆嚢が生きてるからこそ、探し当てることができるんです」と「銀座 小十」奥田透氏。ここから日本料理の神髄・鮎の塩焼き談義が始まった。

「銀座 小十」奥田透氏

「条件は三つ。一番大事なのは、生きていることです。どうしてかというと、鮎って死んで30秒後にはもう脂が劣化して、身がパサつくんですね。しかも輸送の間に水温が変わるとか、振動に驚くとか、自分のアンモニアに耐えきれないとか、ちょっとした環境の変化で、すぐ死んじゃう。『え~、さっきまで生きてたじゃないか』って、今まで何度青ざめたことか。そうなると、慌てて串を打っても取り返しがつきません」

「二つ目の条件は、炭で焼くこと。自分の脂が落ちて、それが自分の香りになって戻ってきてと、鮎が自分で味付けをする。これができるのは炭だけです。いいんですよ、ソースやドレッシングなどで味付けしたって。味覚は楽しめますから。ただ自然の味付けの方が、おいしさが体の奥まで届くんですよね」

「そして三つ目の条件が大きさ。15、16㎝の小さい鮎でないと、頭の骨と中骨が硬くなって、身がパサパサし始める。あと体が大きくなるに連れて、胆嚢の体に占める割合が小さくなるでしょ? 胆嚢は言ってみればおいしいソースですから、大きな切り身にちょっとだけソースをかけた魚料理と、小さな切り身にたっぷりソースをかけた魚料理と、どっちがおいしいですか、って話です」

これら三条件のうち、どれか一つが欠けても、ズレてもダメだと、奥田氏は言う。「鮎は“おいしさのストライクゾーン”が極めて狭い」そうだ。

「銀座 小十」奥田透氏による活き鮎の塩焼き
活き鮎の塩焼き。いかだ状に群れ跳ぶ姿の鮎たち。1人前3匹見当だが、瞬く間に平らげてしまい、“おかわり”がしたくなるうまさだ。蓼酢(たです)ですら「ジャマ」だという奥田氏の定義によれば、塩焼き以外の鮎料理は「塩焼きになれなかった鮎」だという。

「焼き方も炭を極端に手前に置いて、その強い火で硬い頭を焼く。そうすると頭の方に脂が落ちて、自分の脂でカリカリになるんです。身は炭の熱源でいけちゃう。で、薄い尻尾は炭火をあおいだ温風で干物みたいに焼く。うちはよそより低温で長く、40分くらい焼きます。それによって香りがよく回るし、水分が徐々になくなってうまみが凝縮されるんです。最終的に空揚げのように、食べた時にバリバリッとなるのが狙ってるところですね。ただ鮎のシーズンになって、1年ぶりに焼けと言われてもムリ。焼き手には解禁日の前に1カ月ほど、1日10本焼かせてます。その間とシーズンに入ってからとで3カ月くらい、私は指導や味見のために毎日、軽く10匹は……ハンパないですよ、鮎を食べる量は」

鮎を生きたまま串打ちにする様子
生きたまま串打ち。「死んだ鮎の臓器は、“死にたてほやほや”でも苦いだけ。生きた臓器だけがおいしい」と奥田氏。ピンポイントで“うまさのストライク”を狙う。

まさに体を張って鮎料理に挑む奥田氏は、「小さい頃は近所の人が釣った鮎をもらって、ガスコンロでサンマのように焼いた、まずい塩焼きを飽きるほど食べさせられた」という。それが23歳の時に京都の鮎専門店で手伝ったことを契機に「うまい鮎」に開眼。さらに「青柳」で“鮎体験”を積み、腕に磨きを掛けた。そして今、奥田氏の鮎には「いくら食べても飽きないうまさ」がある。

ところで川は、鮎のうまさと関係するのだろうか。

「いや、この川だからおいしい、なんて保証はないですね。個性が出るかもしれないけど。あと、食材は何だって天然が一番ですが、今はもう、海を回って川に帰ってくる、本当の
意味での天然はごくわずか。大半が上流から養殖の稚魚を流して、天然化させています。うちが今使っているのは、天竜川の支流を囲って養殖したものです。といっても、限りなく天然に近い養殖。稚魚の段階で餌をやって、少し大きくなったら自然の川に流すんですが、その時点で餌をやらない状態にする。自分で藻を見つけて食べるようにね。しかも運動するように、モーターで流れの速さを倍にしてるんです。この鮎を食べた時に、“伝票上は天然だけど、限りなく養殖に近い鮎”よりおいしかった。肝のパンチはややおとなしめながら、身のうまさは上だと感じました」——私たちが食材に抱く“天然信仰”も、もう少し深く考える必要がありそう。

小十で食した鮎の塩焼きのおいしさは、天然と養殖の垣根を見事に取り払っていた。

Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
※『Nile’s NILE』2013年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

奥田 透

銀座 小十 奥田 透

Toru Okuda
1969年、静岡県生まれ。高校卒業後、静岡の割烹旅館「喜久屋」、京都「鮎の宿つたや」、徳島「青柳」を経て、99年に静岡に和食店をオープン。2003年に銀座で「小十」を開業。13年にパリ、17年にはニューヨークに出店。『ミシュランガイド東京』では二つ星の評価を得ている。
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