日本料理 かんだ | 神田 裕行 初めに「鮎」有りき

まず頭とはらわたの辺りをがぶりと食べてビールをぐいっ。次に胴体の身のほっこりしたところをがぶりと食べてビールをぐいっ。そして最後の一口でカリカリに焼けた尻尾をしゃくっと食べて「あー、終わっちゃった」とビールをぐいっ。

こんなふうに、ビールを挟みながら三口で「がぶり・がぶり・しゃくっ」と攻めるのが、神田裕行氏の薦める「鮎の正しい食べ方」である。

「日本料理 かんだ」神田裕行氏

「よく焼けた鮎の頭やヒレの香ばしい香りと苦み、はらわたのかすかに甘みのある苦み……鮎の持つ苦みがビールと出合うと、甘くなるんですよね。それに料理をしながらも、ふっと川遊びしてるような気持ちになれる魚なんですよ、鮎は。そういった全ての要素を含めて、僕にとっての鮎はまさに夏の風物詩ですね」

「日本料理 かんだ」神田裕行氏による鮎の塩焼き
日本料理屋のカウンターに居ながらにして、川で鮎を取り、すぐに焼いたものを食べているかのような雰囲気を出すために、竹籠の中に小さな炭を忍ばせて、煙をもくもくと立ち上らせる。そんな“遊び心”があるかんだの鮎を食べる時、お供はやっぱりビールだ。

そんな神田氏は「小さい頃、お父さんが炭で焼いてくれる鮎は特別のごちそうだった」という。その後、「青柳」に入り「すばらしくおいしい鮎」を食べてから、「好き」の度合いが増した。今では「一番好きな焼き魚」と言うほど、鮎に惚れ込んでいる。

「うちでは保津川と長良川の“天然もの”の鮎を使っています。保津川の鮎は骨が硬くて、脂は少ないけれど、鮎としての味わいが凝縮されています。一方、長良川の鮎は幾分脂が乗っていて、身はほっこり。穏やかな味わいですね。ずっと長良川一本でしたが、ようやく保津川の漁師さんが生きたまま送ってくれるようになったので、今年から“二本立て”です。本当は利根川のもっと濃い鮎も使いたいんですが、まだ生きたまま運ぶテクニックを持つ業者さんがいないんですよ、残念ながら。何と言っても鮎は、生きたまま焼かなければね。死んだ鮎は筋肉が硬直して、骨の関節がビシッと締まるため、炭で焼いても骨が口に残るんですね。もちろん身も全然違う。死んだ鮎はペチャッとして、生きた鮎のようにほっこり焼けないんです。それにヒレも、死んだ鮎は立たないので、カリッと焼けません。だからって、塩をこすり付けて無理やりヒレを立たせて焼くと、しょっぱくて食べられたものではないです。川魚って何でも、生きてないとダメですね」

ただ生の状態で見ても、味までは分からないらしい。「あんまり細いと脂がないなとか、肥えていればおいしそうだなとか、体形からイメージされる範囲に限られる」という。「その鮎のおいしさは、焼いて初めて評価できる」ものなのだ。そして大事なのは「焼き方」。神田氏によれば「鮎焼きは料理人にとって、『炭扱いの試金石』と言える」技術だそう。

「まず口から串を刺して、背骨を縫うように躍り串を打ちます。それに満遍なく塩を振って、炭で焼きます。ガスの火だと、頭やヒレがうまくカリカリに焼けたとしても、中の背骨が炭で焼くようには焼けない。だから炭でなくてはいけないし、うまく火を通すためにはその炭も、手前の頭の下辺りにだけ並べる必要があります。頭を少し下にして、尻尾の方は、炭から少し遠ざかるように串を斜めにして焼くんです。こうしてしばらく焼くと、鮎の口やエラの辺りから水分がどんどん出てきます。鮎はうろこごと焼くので、水分の出る場所がここしかないんですね。だから焼けて出てくる水分が落ちやすいように、口の方を少し下にするわけです。で、水分が出て炭の上に落ちると、ジューッと音がして白い湯気が上がります。やがてジューッがジュッに変わって、炭から黒い煙が出てきます。これは脂が出てきた証拠。そうなったら今度は、この脂をなるべく落とさないように串を水平にして、頭と腹を中心に脂を回して、香ばしく焼きます。脂を焦がすようにジワッとね」

鮎を焼く様子
鮎の頭を手前にして、うちわであおぎながら、こんがりと焼く。素人の目には焼き過ぎ?と思えるほど、しっかり焼くのが鉄則だ。焼いている時に落ちた鮎の脂が、鮎の胴体に香りとして付く。

つまり鮎は、自分から出た脂で独自の風味とうまみを作り出す。だからこそ「2匹と同じ鮎はない」。またシンプルな料理法だけに、最も料理人の技術が問われる焼き物でもある。

「鮎が気に入ったら、そこを自分の店にするのもいい」と神田氏は言う。鮎の塩焼きは、鮎自身の個性と料理人の技術、考え方が楽しめる「日本料理の真骨頂」なのである。

Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
※『Nile’s NILE』2013年8月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

神田 裕行

日本料理 かんだ 神田 裕行

Hiroyuki Kanda
1963年徳島県生まれ。大阪の日本料理店で4年半の修業後、86年にパリの板前割烹「TOMO」の料理長として渡仏。91年に帰国し、小山裕久氏が料理長を務める徳島の料亭「青柳」へ。赤坂の日本料理「basara」の料理長を務めるなど青柳グループの東京進出に尽力。2004年東京・元麻布に日本料理店「かんだ」をオープン。07年から『ミシュランガイド東京』で三つ星の評価を得ている。
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