エディション・コウジ シモムラ | 下村 浩司 産みたての卵から生まれた“シェフの卵”の物語

「朝ごはんに関する話を」と投げかけると誰もが一瞬戸惑う。しかし、一度話し出すと日々食べている朝食から、思い出に残るもの、旅先での朝ごはんと話は尽きない。今回は、「エディション・コウジ シモムラ」のオーナーシェフ・下村浩司氏に、朝ごはんについて、たっぷり語ってもらった。

エディション・コウジ シモムラの下村浩司氏と朝ごはん

飛び出る目玉焼き

いきなり「鮮度のいい卵って、どんなイメージですか?」と問われ、私は「黄身が盛り上がった卵、かな」と答える。ニヤリとして下村浩司氏が差し出したバットには、まん丸の黄身が不自然なくらい立っている生卵があった。しかも黄身が、楊枝で刺しても崩れない。すごい卵があるもんだとのけぞりながら、お決まりの質問を繰り出す。「どこの卵ですか? 単純にとれたてなんですか?」と。思わぬ答えが返ってきた。

「事務所のテラスで飼っている鶏がたった今産んだ卵です! 厨房内には鶉もいますので、5分程お待ちください。同じように黄身の立った鶉卵をお見せしましょう!」

9割方信じそうになったが、そんなわけはない。要するに、とてつもなく鮮度の高い卵をイメージした“飛び出る目玉焼き”が彼にとっての「思い出の朝食」なのだと、30分後に判明した。お茶目なシェフである。

「実は私、ラ・コート・ドールでこの目玉焼きをつくっていたんです。白身を焼いて、その上に黄身をのせてちょっと温める。そのイメージをより強く打ち出しました。我が師ベルナール・ロワゾーへのオマージュも込めて。実際に鶏卵の目玉焼きを店で提供することはありませんが、アミューズとして、鶉の目玉焼きとカリカリのベーコンを組み合わせたベーコンエッグをお出ししていました」

卵とは何かと“因縁”浅からぬ下村氏。話すうちに「母の実家が昔、愛媛県松山市近郊で養鶏場を営んでいた」という話も飛び出した。小さい頃は夏休みに遊びに行って、産みたての卵をとったり、卵を産まなくなった鶏を絞めたりしたことがあるという。子どもの頃は朝、お母さんのつくるフレンチトーストやホットケーキを「普通に食べていた」とか。卵をめぐる氏のエピソードは多彩だ。

旅先で出合う、素朴で新鮮な食材を使った朝食

そして二つ目の「思い出の朝ごはん」は、由布院・玉の湯でいただいたクレソンスープである。

「由布院のクレソンは、ほかと全然違う。見た目の緑が淡く、苦味があまりないんです。7年ほど前に仕事で玉の湯さんに泊まった時、夕飯に豊後牛のステーキの付け合わせにそれが出たんですが、一口食べて驚いた。それで仲居さんに『おいしいね、このクレソン』と言うと、彼女はポカンとしているんですね。地元の彼女にとっては、普通のクレソンだから。もし彼女が地元外の人だったら、『そうでしょう! 私も最初にこのクレソンを食べた時、あまりのおいしさに驚いたんです』と客の私と意見が合ってしまう。地元の方々を仲居さんに雇用されていることも、玉の湯さんの素晴らしさだと感じています。そして翌日の朝食に供されたものが、このクレソンのスープなのです! 優しい味わいで、心か和む感じ。今日はこのイメージを残しながら私流につくりました。玉の湯さんのものにはかないませんが、それなりにおいしくできました。日頃、朝食を食べないのですが、旅先では例外です。その土地ならではの素朴で新鮮な食材を朝食で食べることこそが、半分寝ている体と頭を徐々に目覚めさせていくのです!」

その感覚を味わえるのが“朝食の魅力”だと言う。

※『Nile’s NILE』2011年7月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

下村 浩司

エディション・コウジ シモムラ 下村 浩司

Koji Shimomura
1967年茨城県生まれ。大阪・辻調理師専門学校卒業後、都内フランス料理店で修業を始め、 1990年に渡仏。「ラ・コート・ドール」「トロワグロ」「ギィ・サヴォワ」で8年間修業を重ね、1998年に帰国。六本木「ザ・ジョージアンクラブ」を経て、2001年に乃木坂「レストラン・フウ」のシェフに就任。2007年に独立、エディション・コウジ シモムラのオーナーシェフに。『ミシュランガイド東京』で二ツ星を獲得。
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