ル・マンジュ・トゥー | 谷 昇 危機を超える信念

長年にわたる料理人人生の中で、幾多もの社会的な危機に直面し、乗り越えてきた経験を持つ「ル・マンジュ・トゥー」の谷昇氏。コロナ禍という大きな危機の中でも動じず、日頃から自分に厳しく課している料理人としてのあるべき姿勢を貫く。その一方で、料理自体は変化し続ける。年を重ねても、料理人として成長する意思は衰えない。

強化し続けてきた料理人としての軸

谷昇氏は現在68歳。料理の道に入ってから約50年の月日が経つという。その間に、さまざまな社会的危機が起きた―オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、東日本大震災など―。こうした大きな波に直面しても翻弄されることなく、料理人、そしてオーナーシェフとして軸を強化し続けてきた。

そのため、昨年からのコロナ禍に際しても慌てることはなかった。粛々と時短営業を続け、客を迎え続けた。

「危機感や緊張感は持ちますが、不安を抱えることはありません。今まで、さまざまな危機に対処してきた経験が糧になっていますから」。コロナの影響で店や料理に大きな変化は起きていない、と話す。

ただしコロナとは別に、年末から年始にかけて大きな変化があった。スタッフ三人の卒業が重なり、谷氏が一人で調理にあたる体制となったのだ。「一人で好きな料理ができるので、メニューも変えました。店をやってきて、今がいちばん楽しいかもしれない(笑)」という。

古典の核を押さえつつ、現代的で軽やかな味わいの一皿

「ル・マンジュ・トゥー」の谷昇氏が作った仔羊の一品
仔羊とモリーユ茸の組み合わせは、フランス料理における春の定番。仔羊は名産地として名高いフランス・シストロン産を使用する。ソースは、甘みを抑えたソース・ロワイヤル。深みがありつつもすっきりとした印象だ。

今回紹介する2品は、いずれもこの春のメニュー。一皿目の仔羊は、フランス料理の伝統的なソースであるソース・ペリグーで仕立てている。第一印象は、無骨とも言えるほどの飾り気のなさ。「真っ黒でしょ(笑)。一人でやっているから、付け合わせを作る余裕がない」と冗談を言うが、その潔さが料理の美しさ、迫力につながっている。

仔羊は、名産地として知られるフランス・シストロン産のものを使用。ローストしたセルを、春が旬のモリーユ茸、ソース・ペリグー、トリュフとともに盛り付ける。

これは、まさにフランス料理の伝統の王道をいく素材とソースの組み合わせ。そして谷氏の料理らしく、古典の核を押さえていながら、味わいは現代的で軽やかだ。

秘訣は、ソースの作り方にある。「ソース・ペリグーは通常、マデラ、コニャックなどのお酒を煮詰めてからフォン・ド・ボーを加えてさらに煮詰め、トリュフのエキスとトリュフのみじん切りを加える……という工程で作ります。でも私は、甘いのが苦手。お酒は甘みのあるポルトは入れず、コニャックだけとし、また、フォン・ド・ボーも独自の作り方のものを使っています」という。フォン・ド・ボーは今年に入ってからその作り方を根底から変えた。「前より澄んで、香りが格段によくなりました」という、スペシャルなフォンとなった。

付け合わせは、フランスの「ラット種」というジャガイモを2時間ゆで、水とバターを混ぜ合わせて作った。ラット種は、甘みと風味の強いジャガイモ。時間をかけて煮ることで、その甘みがいっそう強まる。

「こうした伝統的なソース、伝統的な料理を作る料理人は最近では少なくなっていると感じますね。学ぶ若手も少なくなっている」と谷氏。これは、世界的な傾向だという。「ル・マンジュ・トゥーのインスタグラムで、店で実際に出している料理の写真を投稿すると、フランス人から『そのソースはどう作るのか?』なんて質問が来るんですよ(笑)」

だからこそ谷氏は、「フランス料理への情熱を持った若手からは、大いに刺激を受けますね」と話す。そしてそんな若手とは積極的に交流する。

「彼らは独創的な料理を作っても、芯がしっかりしている。そんなところに引かれます」

パリ「Restaurant KEI」のオーナーシェフ小林圭氏は、谷氏とそんな関係を築いている料理人の一人だ。野菜料理は小林氏からインスパイアされたもの。発想のもとは、「Maison KEI」(小林氏が和菓子の「とらや」とのコラボレーションで、御殿場にオープンしたレストラン)で食べたサラダだという。

「お客さんが箸で全体を混ぜて食べるスタイルに『お、これはいいな』とマネしました(笑)。もちろん料理名には、圭さんの名前を掲げてリスペクトしています」

小林圭氏からインスパイア された野菜料理

「ル・マンジュ・トゥー」の谷昇氏が作った野菜料理
「サラダコンポーゼ メートルドケイ」。サクラマスの角切り、塩気をプラスするためのキャビア、14種類のマイクロリーフ、マイクロハーブをなど盛り合わせた一皿。味付けは、マスタード入りのビネガードレッシングやルイユ。全体を箸でよく混ぜてから食べるよう、すすめる。

この料理の大まかな構成は以下の通りだ。

器にさっぱりとしたクリームであえたサクラマス、塩気をプラスするためのキャビアを盛ってから、14種類のマイクロリーフやマイクロハーブのブレンドをフワリとのせる。そこに3種類のドレッシングやオイル、ルイユ(ニンニク入りの、卵黄とオリーブオイルの乳化ソース)をかける、というもの。これを、箸で全体を軽く混ぜて食べるよう客にすすめる。ほどよく不均一に混ざったところを食べ進めると、味が変わる。その変化を楽しんでもらう、という趣向だ。

マイクロリーフやマイクロハーブは、「いろいろな店の料理を見ていると、飾りとして使われることがほとんど。でも、あのチョロッと料理にのせてあるのが許せなくて(笑)。使うなら、ワシワシと食べられる量にしたい」と谷氏。実際に食べると、たっぷりの野菜とサクラマスの量がバランスよく調整されているとともに、ドレッシングやルイユがところどころで風味を主張。マイクロリーフ、ハーブのおいしさを鮮やかに感じることができる一品だ。

レストランに対する強い思い

このように谷氏の料理は、フランス料理の伝統という軸がありながら、現代の感性を取り入れて進化し続ける。「来年、古希ですよ。70歳!」と笑うが、そんな年齢を感じさせない勢いが料理にある。

「頑張っている同世代の仲間がいるから、まだまだ自分も負けられませんよ」

料理に加え、レストランという場に対する思いも強い。今はコロナの影響で、レストランは普段とは異なる場になってしまっている。

「最近の営業では、客席が静かなんですね。皆さん、お話を普段より控えておられるので。レストランにはほどよい会話が満ち、それが豊かなアンビエンス(雰囲気)を生み出す。今の状況はとても残念です」

今はレストランにとってきつい時期だが、いつかはコロナとの折り合いがつく日が訪れるはず。

「レストランは、人が集まって時間を共有する場所。その価値はこれからも変わらずにあり続けると信じています」

Photo Masahiro Goda Text Izumi Shibata

谷 昇

ル・マンジュ・トゥー 谷 昇

Noboru Tani
1952年東京都生まれ。服部栄養専門学校在学中から「イル・ド・フランス」で働き、卒業後就職。76年と89年の2度にわたり渡仏し、「クロコディル」と「シリンガー」で経験を積む。帰国後、「オー・シザーブル」と「サバス」のシェフを務め、94年に「ル・マンジュ・トゥー」をオープン。2006年に改装。12年、辻静雄食文化賞専門技術者賞受賞。
このシェフについて