蓮 三四七 | 三科 惇 爐は紅にして天与の味

石川秀樹氏、 小泉瑚佑慈氏の料理の撮影が終わったころ、何ともいい香りが……。蓮の三科淳氏がズワイガニを炭火で焼き始めたようだ。「香りで引き寄せるって、三科、ちょっと調子に乗ってない?」と“師匠陣”が、やはりうれしそうに三科氏を囲んだ。“石川一門”の温かな関係がうかがえる。

「蓮」の三科淳氏
蓮では、三科氏を含む若手4人がカウンターに並んで仕事をすることもあるとか。石川氏に師事して14年。「石かわに入ったころは料理人が3人だったので、おやっさんと小泉さんの仕事をつきっきりで見られたのも幸運でした」と振り返る。

三科氏が石かわに入ったのは23歳のこと。その前の店は「1年で挫折した」こともあり、「ここで3年がんばれなければ、何をやってもダメだ」と思ったという。そう覚悟を決めたからか、石川氏に叱られては小泉氏に慰められる毎日の積み重ねの中で、仕事の面白さに目覚めていった。

結果、1年半ほどで煮方にスピード出世。2008年にオープンした虎白、また翌年開店した蓮と、7年間煮方を務めた。蓮では「当時の料理長と一緒にメニューを考えさせてもらうようになった」そうだ。そして蓮の店長兼料理長を任されたのは2014年、30歳の時だった。

「おやっさんからは技術的なことより、考え方―『妥協せずに、自分がおいしいと思うものをお客さんに提供しなさい』と教わりました。例えば仕上げは、生姜の搾り汁一滴、二滴まで見極める。そこがちゃんとわかって初めて、仕上げを任せてもらえるんです。最初は生姜を搾ることすらやらせてもらえず、仕上げを任せてもらえるまで2年近くかかりました。でも、そういう日々の積み重ねがあったからこそ、蓮を任された時は、細かい指示はまったくなかったのかもしれません。ただ『石かわよりももっとシンプルに作ることだけを考えろ。あとは好きにしていい』と言われただけ。『仕事に雑用はない。雑用だと思っていと、そこから崩れる』というおやっさんの言葉がありますが、僕もどんな仕事も大切にし、楽しくやっていこうという気持ちを磨いてきたことが良かったのかなぁと思います」

三科氏は今も、「おやっさんに日々のすべてを見守ってもらっている」と実感している。

「あと、蓮でカウンターに立つようになって、もともとは苦手だった接客も苦ではなくなりました。むしろ、お客さんの反応がダイレクトに伝わるのが楽しくてしょうがない。今は10品中7品くらいはカウンターで仕上げていて、それが仕事の醍醐味だと感じています」

「蓮」の三科氏が作った蟹料理
蟹の炭焼きはシンプルの極み。カウンターの店だからこそ、香りと焼きの臨場感が格別の旨さを作り出す。半生に仕上げたズワイガニの身は、その強い甘みと香ばしい香りとで、今までに食べたことのない味わいに。水こんろは三重県の伊賀の里に7代続く伊賀焼の窯元、福森雅武(ふくもりまさたけ)氏の作品。

そんな三科氏が作った蟹料理は、究極のシンプルを追求したもの。「うちはカウンターがメインの狭い店なので、そこを生かして、蟹や筍などのいい香りのする料理が合うんですよね。今日はズワイガニの脚だけ半レアに焼いて、おなかの身はほぐして蟹酢などで食していただくものにしました」との言葉通り、まず蟹の香りのカウンターパンチにやられてしまうおいしさだ。

この日、「久々におやっさんと小泉さんが料理をしている姿を見た」三科氏は、二人が一瞬、一瞬、最高の形を作ろうとしている情熱がビンビン伝わってきたという。「新年早々、すばらしい機会が持てました」とさわやかな笑顔を見せてくれた。

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Photo Masahiro Goda Text Junko Chiba
※『Nile’s NILE』2018年2月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

三科 惇

蓮 三四七 三科 惇

Atsushi Mishina
1983年神奈川県生まれ。調理師学校卒業後、学校職員を経て川崎日航ホテル内「築地おつぼ」にて修業。その後「石かわ」「虎白」を経て「蓮」に。2013年からは同店の料理長を務める。
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