赤坂 桃の木 | 小林 武志 “中華料理の王道”という封印を解く

ガラスの器に優美に盛られた、エスニック風のエビ料理。新時代の始まりとともに、「赤坂 桃の木」の料理が明らかな変貌を遂げている。封印を解かれた料理人、小林武志氏の、新たなる境地とは。

世界で求められるおいしい料理を

「僕が料理の勉強を始めた昭和の時代は、とにかく中国料理といえば香港が中心でした。香港と同じ料理を作りたいとか、同じ食材を使いたいだとか、ずっと香港ばかりを向いていた。でも、平成も半ばに差し掛かり、自分の店を持つようになると、香港ばかりを追いかけても、食べ手は日本人のお客様なのだから、何か違うな、と思うようになって、海外には目を向けなくなったのです」

その結果、小林武志による、日本人の口に合う桃の木スタイルの中国料理が編み出された。令和の時代もそれは変わることはないが、ここ数年、海外でのガラディナーに招かれたり、アジア圏の中国料理を食べたりする機会が増えたことで「もう少し、中国や台湾の感覚を取り入れてもいいのでは、と考えるようになりました」という。
「赤坂 桃の木」小林武志氏

「僕が料理の勉強を始めた昭和の時代は、とにかく中国料理といえば香港が中心でした。香港と同じ料理を作りたいとか、同じ食材を使いたいだとか、ずっと香港ばかりを向いていた。でも、平成も半ばに差し掛かり、自分の店を持つようになると、香港ばかりを追いかけても、食べ手は日本人のお客様なのだから、何か違うな、と思うようになって、海外には目を向けなくなったのです」

その結果、小林武志による、日本人の口に合う桃の木スタイルの中国料理が編み出された。令和の時代もそれは変わることはないが、ここ数年、海外でのガラディナーに招かれたり、アジア圏の中国料理を食べたりする機会が増えたことで「もう少し、中国や台湾の感覚を取り入れてもいいのでは、と考えるようになりました」という。

“中華”であることのこだわりを捨てる

「今までは“中華”であることにこだわって、バター、オリーブオイル、山わさび葵、ポン酢、ナンプラーといった調味料は使わないようにしていました。でもむしろ中国本土や台湾では、それらが普通に使われているのです。ここは意地を張るより、そうした調味料も取り入れることで、よりおいしくなればいいのではないかと思うようになり、昨年末あたりから少しずつ料理が変わってきました」

そして生み出されたのが、小ぶりのクルマエビであるサイマキエビをチキンスープで殻ごとゆで、揚げニンニクと蒸し魚のソースをかけて仕上げた軽やかで優美な一品。バジルやミントのハーブ、トウガラシの輪切りを添えた、ベトナム風のエスニックな味わいが特徴だ。

「普通なら、エビをゆでたら、ネギを細く切ったものに熱い油をジュッとかけて、シャンツァイと一緒に盛るというのが中華の基本です。でも、そればかりだと、そこから抜けられない。台湾でも、台湾バジルはよく使われています。シャンツァイではなくバジルやミントにすることで、シャンツァイが苦手な人にも楽しんでいただけますよね」

「赤坂 桃の木」小林武志氏が作る令和の料理
サイマキエビを、揚げニンニクの風味を強くしたソースとハーブでベトナム風に。ほのかな甘みやハーブの爽やかさが新鮮な味わい。海外の中国料理の傾向を、日本人に好まれる形で取り入れている。

より広くフラットな視野で料理を作る

料理とともに、盛り付けも変わった。中国料理を骨董などの和食器に盛るのが桃の木流だが、今回はデザート以外で初めてガラスの皿を使っている。

「日本人作家が手がけたガラスの器です。前から持ってはいたのですが、使う機会がなくて。中国料理らしくないと感じるかもしれませんが、日本で中国料理というと連想される、細切りのキュウリやキクラゲを添えた盛り付けも、一般的に知られているだけで、本当の中国料理とは違うのです」

“中国料理”というイメージにとらわれるのではなく、より広くフラットな視野で、世界で求められるおいしい料理を作る。新元号にかわったからではないが、「ウチにはウチの流れがあって、それがこのタイミングに合致した」と小林氏。新時代の幕開けを、新生・桃の木の料理とともに迎えたい。

料理人・小林氏が語る、昭和の味、平成の味

子供の頃の一番のごちそうは、祖母が作ってくれたそばですね。そば粉10 割で手打ちした真っ黒いそばなんだけど、ものすごくおいしかったから思い出の味になっています。

そして辻調理師専門学校で学ぶために、大阪に出て知った味といえば、うどんやタコ焼きといった“粉物”。地元の愛知で食べていたうどんやタコ焼きとは、次元が違うおいしさを感じました。例えば、大阪のうどんは、駅のホームとかどんな場所で食べても本当においしかったですね。

平成に入って料理店で働くために東京に上京してからは、“昭和の北京料理”ばかり食べていました。吉祥寺の「知味 竹爐山房」で働いていた時、休みの日も仕込みをしに店に行っていましたが、お昼までに仕事を終わらせて、荻窪の「北京遊膳」によくランチを食べに行っていました。それが修業時代の唯一の楽しみ。どの中華料理店にもあるようなメニューがそろっていて、何でもおいしかったけど、僕はあんかけ焼きそばを好んで食べていましたね。

ここ数年は、アジア各地の中国料理店に食べに行く機会が増えて、中国本土や台湾の店で、バターやオリーブオイル、山葵、ポン酢、焼肉のタレといった調味料を普通に使っているのを見て、ある意味“衝撃”を受けましたね。

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』2019年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

小林 武志

赤坂 桃の木 小林 武志

Takeshi Kobayashi
1967年愛知県生まれ。辻調理師専門学校、同技術研究所で学んだ後、職員として8年間勤務。吉祥寺「知味 竹爐山房」「際コーポレーション」などを経て2005年、38歳の時に「桃の木」を開業。『ミシュランガイド東京』では二つ星を獲得。
このシェフについて