日本料理 かんだ | 神田 裕行 目には見えない部分こそ大切に、それが令和の料理

「元麻布 かんだ」の店主、神田裕行氏が作るのは、イセエビをシャンパンで洗った一品。それは調味料を一切使わず、塩さえ振らなくても、全身を覚醒させる「美しい味」だった。白和えを豆腐から作るような隠れた仕事へのこだわりが、新時代の味となる。

令和の料理の贅沢は、見えない部分へのこだわり

「いいものって、常に前衛ですよね。千利休とか、いつ見てもモダンで格好いいからね」と神田裕行氏は言う。そのうえで、「食の観点から言えば、昭和はフォアグラやステーキ、白子のような、口の中で脂が弾はじけるようなものが好まれました。もちろんそういうものもいいですが、これから料理屋の料理はもっとピュアで、ミネラル感や爽快感のあるものになると思います」と指摘する。

さらに、「昭和の時代は、“贅沢品”は一部の人しか食べられなかった。それが、平成で皆が普通に“贅沢品”を食べるようになった。そして令和では、贅沢の概念そのものが変わっていくでしょうね」と予測する。

「僕の料理は、複雑さを内包させたシンプル、これをさらに突き詰めていくには、もっと根本的なところを複雑にしていく必要がある。だからこそ、白和えを作るのに、まずは大豆探しから始めて、豆腐を手づくりする。今まで作っていた白和えと、見た目ではまったく違いがわからない。ところが、食べてみればわかる。そんな見えない部分の仕事にこだわることが、令和の贅沢なのだと思うのです」
元麻布かんだの神田裕行氏

日本料理だけが実現できる「美味しい」味を目指して

今回の料理は、言ってみればイセエビをシャンパンで洗っただけ。だが、シャンパンで洗うことでエビのアクを取り、身の甘さを際立たせ、洗練された香りをまとわせる。

元麻布「かんだ」神田裕行氏が作る令和の料理
神田氏の一品。イセエビをシャンパンで洗うことで、香りと酸味とほのかな甘みを加えた。「シャンパンで洗う」という料理だが、それは表に出さない。食べ手からは見えない根本の部分に手間をかけて複雑にしている。

「エビにシャンパンの持っている香りとミネラル感を足すことで、味のバランスが取れて、塩分がなくてもおいしく食べられるようになり、さらに繊細な味わいを楽しめます。塩分を介在させずに味が完成するのは、次の時代の料理の理想形です」

昭和の高度経済成長以降、日本で獣肉消費量が魚の消費量を上回った。「それによって今まで魚と野菜を中心に食べてきた日本人が、糖尿病に悩まされるようになった」と神田氏。

「料理においてのおいしさの方程式で言えば、昭和は脂×塩=旨い、でした。平成は脂や糖分が倦厭されて、ケーキでも“甘くない”が褒め言葉のようになったけど、まだ旨みに頼っていた。特に、獣肉の旨みですね。フランス料理は平成にソースから脱却し、日本料理も今、醤油から脱却しようとしています。鮨すしや天ぷらでも塩で食べることが増えてきているし、もっと究極には、今回の料理のように雑味を取り除き、さらに香りを引き出せば、塩さえいらなくなるのです」

目指すのは、「旨み」ではなく「美しい味」。

「『美しい味』と書いて『美味しい(おいしい)』と読む。それは、日本料理だけが実現できるものだと思っています。例えばお吸い物。外国の方に提供すると『なぜ味がついていないのか』と言われることがあります。一口の量でもおいしいと感じる西洋のスープと違って、お吸い物の一口目は薄いと感じるけれど、最後まで飲んで脳と体に塩分が蓄積されて初めておいしいと思える料理。こうした日本料理の美学をさらに突き詰め、目には見えない部
分こそを大切にする。それが令和の料理だと考えています」

料理人・神田氏が語る、昭和の味、平成の味

昭和の時代に料理人になって、初めて食べて感動したのがフォアグラ。その濃厚な味わいにこんな食べ物があるのかと、驚きましたね。最初に修業をしたのが大阪ミナミの「喜川 昇六」です。この店では、和風コロッケとか、すき焼きとか、松茸のフライとか、つまり食べ手の味覚に合わせて柔軟に調整するのが“浪速割烹”の真骨頂だという洗礼を受けました。

その後、大阪からパリに出た僕にとっての一番のごちそうは、ホテル日航の分厚い食パン。23 歳の若者にとって、パンといえばふわふわの日本の食パンのことで、当時はフランスパンがどうしても好きになれなかったですね。ホテルのカフェでフォアグラのテリーヌと厚い食パンを別々にオーダーして、自分で食パンの上にフォアグラをのせて、そこにマンゴーやイチゴのジャムをつけて、アグッて食べていました。

これが本当においしかった。まさに昭和の修業時代の思い出の味です。平成の時代に入って、徳島の料亭「青柳」の料理に出合えたことも、まさにエポックメーキングでした。今、振り返ると、この頃までは和食のおいしさというものがわかっていなかったように思います。

例えばお吸い物の味もきちんと理解できたのは「青柳」で修業して、おいしさの定義を自分の中で持てるようになってからではないでしょうか。

Photo Masahiro Goda Text Rie Nakajima
※『Nile’s NILE』2019年5月号に掲載した記事をWEB用に編集し掲載しています

神田 裕行

日本料理 かんだ 神田 裕行

Hiroyuki Kanda
1963年徳島県生まれ。大阪の日本料理店で4年半の修業後、86年にパリの板前割烹「TOMO」の料理長として渡仏。91年に帰国し、小山裕久氏が料理長を務める徳島の料亭「青柳」へ。赤坂の日本料理「basara」の料理長を務めるなど青柳グループの東京進出に尽力。2004年東京・元麻布に日本料理店「かんだ」をオープン。07年から『ミシュランガイド東京』で三つ星の評価を得ている。
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