「スイカ愛」は時代を超えて

スイカは「天使の食べもの」

猛暑に見舞われた今夏、涼を求めてスイカにかぶりつく機会が多かったのでは?スイカは甘くておいしいうえに、のどの渇きを潤し、熱のこもった体を冷やしてもくれる。「スイカなくして夏は乗り切れない」と言っても過言ではない。そんなスイカがそろそろ旬を終える頃になって、ふと思う。スイカはいつどこで生まれ、いつ日本に渡来したのか。どんな健康効果があるのか。もろもろの疑問を解き明かしておこう、来夏に備えて。

スイカ

古代のスイカはおいしくなかった!?

スイカには5000年の歴史があるとされる。「祖先とおぼしき植物がアフリカで生まれ、やがて地中海からヨーロッパ各地に広まった」というのが通説だ。アフリカのどこか、までは特定されていないが、「リビアの5000年前の遺跡から、さまざまな果物の遺物とともにスイカの種が見つかった」し、「3000年から4000年以上前のエジプトの墓の壁に、スイカが栽培されていたことを物語る絵が描かれている」など、来歴の古さを裏付ける〝物証〟は多い。

ただ“古代のスイカ”は、苦くてそうおいしいものではなかったようだ。栽培の目的は「水分の貯蔵」。日陰の涼しい場所なら、数カ月間保存がきくので、重宝されたという。また墓で多くの種が発見されているのだが、それは「王たちが死後の長旅に出る道中、水分が必要だろう」と備えられたものと推測されている。もちろん古代人だって、まずいものは食べたくない。苦みを取り除こうと、少しずつ品種改良を続け、デザートへの道を歩み始めたようだ。

日本におけるスイカの歴史

ではいつ頃、日本に渡来したのか。残念ながら明確にいつ、と特定できない。「平安時代から鎌倉時代に描かれた鳥獣戯画に縞皮のスイカらしきものが見られるから、平安時代にやって来たのではないか」とか、「16世紀にポルトガル人が長崎にやって来た時、かぼちゃと一緒に持ちこんだのでは?」など、諸説ある。確かに言えるのは、栽培が始まったのは江戸時代だということだ。元禄年間、1697年に刊行された日本最古の農書『農業全書』に、「たねに色々あり。じゃがたらと云うあり。肉赤く味勝れたり」との記述が見られる。明治に入ると、アメリカ、ロシア、中国などの海外からさまざまな品種が導入され、それらが土着するとともに、自然交配や選抜が繰り返された。それにより日本におけるスイカの品種改良の祖先となる「素材」が育ち、風土に順化させる形で新しい品種を育成。今では150種類以上に上るという。

その過程でスイカは「よりおいしく、より食べやすく」進化してきた。皮が薄くなり、果肉の白い部分が小さくなってきたし、片手で持てる小玉スイカはどんどんおいしくなっている。最近も「ぷちっと」というタネまでおいしい小玉スイカが誕生している。今後も時代の要請に応じて、魅力的な品種が開発されていくことだろう。スイカの可能性は無限大である。

実は栄養価が高いスイカ。若々しい体づくりに貢献!

また特筆すべきは、スイカは水分だけのように見えて、実は栄養価が高いこと。古代ギリシャの時代にもう、ヒポクラテスら医師たちは利尿や解熱などに効果があることに注目していたほどだ。さらに現代では科学的に、栄養豊富な果物であることが証明されている。シトルリンは手足のむくみ改善に、βカロテンやリコピン、ビタミンは美肌に、カリウムは高血圧を始めとする循環器疾患の予防に効果が期待される。現代人にとってスイカは、健康の維持・増進はもとより、若々しい体づくりに貢献する食材なのだ。作家マーク・トゥウェインの言を借りれば、スイカは「天使の食べもの」なのである。

取材協力/萩原農場
Text Junko Chiba